なぜ鷹村と梅沢?
R1244で鷹村が「梅沢くん」って呼んだため。
というのは微量で、自分的に今まで死ぬほどどうでもよかった梅沢が急にイジメに対して真摯に2ページも使って「イジメがあってはならない」と発言したことに心を打たれたというのがある。
また幼稚園児の頃に年少の子をイジメていた、というのをこれをきっかけに思い出したので、色々思うところができたのがある。(これはまた違うところで書くかもしれない)
鷹村守は変わらない
鷹村が作品を通して狂言回し(作品を通して成長する主人公に神の視点のような助言を与えて背中を押す。成長はせず、作品の初めから終わりを得てようやく成長・変化する)なので、鷹村は作品の中で全く変わらない。
【鷹村の目標】
・「6階級世界制覇」で、現在「3階級目制覇済み」
2階級制覇の際、右目の網膜剥離によって、すでに失明してる疑惑が出た。3階級目でその疑いが宮田の「見えている」発言によって晴れたかに思われた。
しかし鷹村からの明言はない。
鷹村は変わるところを見せないとはいえ、3階級制覇の帰宅時に、タクシーの中で鷹村が一歩に告げていたセリフは今後の重要な役割を果たすだろう。
一歩の現状
鷹村は「人のまま入ってくるな」と一歩に告げていた。
葉っぱを掴んだデカい木の前に深すぎるラインを足でガリガリと原っぱに引いて(自然を壊すな)、世界への道からそうして一歩を突き放した。
一歩は一歩踏み出す前「ボクも…!」と言っていた。
一歩は行きたがっているが行けないらしい。
鷹村の3階級制覇前、復帰しない理由をサラッと白状していた。鷹村が問う。
「お前、ボクシングと天秤にかけて大事なモンってあんのかよ」「母です(即答)」
ようするに一歩は、
「世界王者になりたい。でもパンチドランカーかもしれない。勝っても負けても暮らしがある。一生世話されながら生きる生活になってしまったら、父の遺した船はどうなる?いまを生きる母はどう思う?どうなる?世界ベルトと同じくらい家族は大切でかけがえのないものである。だから世界王者には挑めない」
と言っている。鷹村は大体汲み取っていると思われる。
そうか。ならやっぱり一人でやるしかねえか、と6階級制覇へ、後先短い会長へ、自身の目の様子へ、そのどれかか、またはすべてかに読者への疑惑をモッチリと残してそのシーンの鷹村は去っていった。さすがに自分も鷹村もストレスでモチモチである。誰しもが一歩の愚直なボクシングを見たいのだし。
それなのに復帰しないかつ連載がスローペース短ページなので、しまいに主人公の一歩がそんなクソ重ドデカ苦悩をそんな風に一人で抱え込んでいたら読者も食いしばり、口から血を出してやたらつつけずに「さっさと復帰しろ!主人公がボクシングしてねえで何がボクシング漫画だ!おいホモゾンビ宮田に赤面しててキモイんだよ!終わっちまえこのクソ漫画!」と、公式や先生へリプライして悪態つくしかないだろう。原稿を描くのは先生だから、読者ができることはそれしかないだろう。
そんな訳はない。ファンレターを送れ。
鷹村と梅沢の可能性
一歩のおさらいはここまでにする。
つぎに、鷹村にプラスして梅沢を置いてみなければならない理由である。
その大きな理由のひとつに「人外」という言葉がある。
人外とはなんだろう。常人にはなし得ない情熱か。孤独の道か。孤高の景色か。はたまた何かへの執着か。妻や子を持たず、帰属しないことか。何歳になってもやり続ける狂気か。
世界王者とは人外でならなくちゃいけないと、鷹村は語る。
そして上記のように一歩を突き放した。
自分は「人外」はちょっと異質な言葉だと思う。人外はまだ原作で説明されていない。「人じゃない」とか「外」とかは攻撃的にすら感じる響きで、あまり褒め言葉ではないような気がする。どちらかという武功をあげた英雄への賞賛というより、ソイツを愚かだと皮肉るイメージ。虚しい結末が約束されているようなイメージである。
そして梅沢は。
その言葉を知らないながら、実物を見た。
それはブチ切れた一歩の顔である。暴力を嫌う一歩が、怒り任せにブチ切れビンタしたとき、彼の顔に驚き梅沢は動けず、見ていただけだった。一歩の顔をマジマジ見ていたのは親友の梅沢。さらに鴨川ジムのみんなの前で「とても人の表情とは思えない…」などと語って、鷹村の目の意味深コマを叩き出していた。ここだけでザワラーにとって大儲けものである。鷹村は一歩に「(同期たちがゾロゾロと世界へ行き)やっかみとかねえの?」「自分が行くはずだったのにとか?」とかを言う。
鷹村はなんだかんだ、一歩は世界王者にはなれないだろうとは思いつつ言いつつ、逆のことも言う。やはりどこかで期待できるものをひと握りでも感じるからこそ、復帰を促すような、煽るようなことを一歩に言う。
あと、梅沢も一歩に世界王者になって欲しいようである。
「お前が世界王者になるのを待ってんだからよ!」「本当になる気あるのかよ?」とこめかみに怒りマークをつけていたので怒るくらいには世界王者になって欲しいらしい。挑戦するか・しないかではなく、なるか・ならないか、らしい。
清く美しく応援し、絶対なると確信してるらしい。
まさかの鷹村と梅沢の2人で【共有】すか?マジすか?鷹村は分かるがそれを今まで絡みがなかった梅沢とで、人外とかいうキーポイントワードを【共有】してしまったので、確実に絶対何がなんでも一歩の復帰とかにまた2人は喋るししかも物語の核心をついた会話の爆発が起きる。何かとんでもない決めゼリフならぬ決めガラミが起きる。会話ではなくても何か決め…決めウンコが出るに違いない。こちとらウンコぶちまける手筈はもう整ってんだよ。いや、起きなくてもいい。一歩を関して、今後ふたりの立ち位置も作品の中で変化する。それだけで今後の可能性は十分と言っていいほど広がるであろう。それでもいい。
先生が思う理想の姿で好きにしていたら、もうそれでいい。
鷹村さんと梅沢くんは「準備運動」
なぜだろう。2人には分からないことがたくさんある。
青木と木村が「梅沢くん」呼びなのは分かる。どうして鷹村が「梅沢くん」と呼ぶのだろうか。分かっている。深い意味はない。後輩の知り合いだからそう呼んだ。けれどもそれがよかった。原稿破った際は「梅公」とエテ公とか猿公みたいなあだ名で、だいぶ昭和で侮蔑的に言い倒していた。その後に本人を呼ぶときはなぜか「梅沢くん」。なぜ?どうしても痺れる。鷹村は一歩は「一歩!」なのに、梅沢"くん"付けをしているのもわざわざエテ公を丁寧に扱う皮肉を込めていそうで、イケている。
今までなぜ鷹村と梅沢の絡みがなかったのだろうか。梅沢んちで一歩が原稿手伝ってたら、カラスに追いかけられた鷹村が周辺の家ピンポン連打ダッシュで助けを乞う音が聞こえ(聞こえてない)近隣住民は誰も開けてくれず「なんかあの人の声しねえか?」「開けちゃダメだよ梅沢くん!」でスルーした。(ない)一人旅してる鷹村が東京に戻ってきて偶然梅沢に鉢合わせたし(鉢合わせてない)、梅沢が堕落した日々を過ごしているのがバレてしまい、一歩には言うなと鷹村に強めに口止めしたのも記憶に新しい。(ない)居酒屋でヌシと鷹村で飯食ってるところに梅沢が鉢合わせ、遅れて板垣のオヤジがやってきて、東京で迷い子になった千堂がやってきて、みな大暴れ全裸爆音酒コール飲んだくれジジイになり、梅沢は何もしてないのに出禁になった。(起きてない)破った原稿について鷹村は悪びれてはいなかったが、梅沢にさまざまな形で謝罪や感想の言及をしたし(してない)、たまの助言で梅沢の背を押した。(押してない)
逆に鷹村が学ぶこともあった。(学んでない)
梅沢が持つのは、鴨川ジムのメンツにもほかの知人にもない、独特の美的センス。彼の男の美学は男女尊重で新しく、かつ表向きは丁寧で、けれども決して心の中に他人を寄せ付けなかった。その梅沢のさびしさが、鷹村の人生の価値観に影響を及ぼしたこともたくさんあった。(及ぼしてない)
ホーク戦後に3体売れた鷹村像は、変装した卓兄と京姉と梅沢がヒッ…ソリと買っていったのである。(買ってない)
「よう梅公。原稿破って悪かったな。コレ。鷹村伝説の原稿300ページ大特集だ。一歩じゃなくてオレ様を主人公にした漫画を」「新聞間に合ってます」(ドアが閉まる音)「コラー!!」(ドアを力強く叩く音)と言っていた。(言ってない)
鷹村や梅沢に何かが起きないのは、おかしい。
これは、一歩の復帰にかかわるだろう母や会長や久美やリカルドや宮田や千堂に何か起きないくらいおかしいのだ。
そう。
いわば今、リアルタイムで鷹村と梅沢のファンアートをムチムチ描いているのは、まさに衝撃以上の衝撃に耐えるためのファンの「準備運動」と言えるのである。
鷹村と梅沢の個人的な癖
鷹村は傍若無人で手が付けられない昭和の男。「悪びれない」「謝らない」「直さない」の終わりムーブをこなす世間の嫌われ者なので、鴨川ジムやその他の上にも下にも言われて直せなかった横暴な態度。梅沢のレスバが強すぎることによって鷹村は感銘を受け、本当にヤバいところはしっかり直ってしまう。という妄想が死ぬほどある。
鷹村が誰かに影響を及ぼすのは当たり前。
かつ鷹村自身が影響を受けることも滅多にない。
ましてや後輩に指南されることなどない。なぜなら自分の居場所で彼は頂点に立ち、いまやアドバイスが必要ないほどのボクサーだからである。鴨川会長も言う通り、会長からいい指南を受けたにせよ、その天性の才能を自ら開いていったのは紛れもなく鷹村自身。鷹村自ら、前人未到のボクサーになったからである。モデルケースがないから鷹村には歳の近いライバルも憧れの目標もないのだ。たった一人の動機だから隙がない。
そうしたらば恐れられ、30代、40代と彼を叱ってくれる大人がドンドン減っていくだろう。
そこに梅沢なのだ。
梅沢は敬語こそ使うが、言う時はシッカリと言うだろう。青木や木村と違って鷹村への尊敬もそこそこだろう。イエスマンにならずに他人の距離で指摘できるだろう。一歩と同じ歳だが、梅沢は察せる。鷹村の繊細でぶすくれた人柄を察せるだろう。不良をやって子分を引き連れ応援団長もやっていた。声もデカくタッパもある。しっかりとリーダーをたしなめる。力で捻じ曲げる素質がある。それは鷹村にしてみれば大いに結構だろう。鷹村にとって重要な会長と一歩との距離も遠からず近からず、しかし鴨川ジムのメンツよりも、ヘタしたら近い。でも梅沢は鷹村に執着がない。同じボクサーでもない。だから楽だろう。立場を気にしない。マウントは必要ない。はなから戦わなくてもいい相手と戦うほどヒマではなく、でもヒマはあるから梅沢にちょっかいを出せるし、倒れるほど梅沢もヤワでもない。
質の差はあれど2人がリーダー格であることがまた、大いに強い。
しかし、梅沢は超人ではなく一般人なので、一歩にどれだけ近づこうとしても先を行かれて、鳴かず飛ばずの姿を晒している。……
この一般人・梅沢を通して、いかに鷹村の異様さ・バケモノさをえがけるか、といったところに魂を注ぎたい。
あとは死生観や宗教観、家庭環境の違いも描きたい。
けれどもバカだから難しい話が書けない。
今も梅沢の頭にウンコのせる絵を描いています。
この世はウンコです。しかしそれが肥料になって梅沢の頭に花が咲くのである。