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ゲームのコラムを真剣に書くという事『ドラゴンクエストⅢ(HD-2Dリマスター版)』をプレイして

黒犬
·
公開:2025/11/30

 自分がこれから書く話の前提として、IGN Japanという、ゲームレビューやコラムが掲載されているサイトの中の、とある記事の炎上騒動がある。その炎上してしまった記事とは、以下のものだ。

【コラム】HD-2D版「ドラクエI&II」で感じた「メタル狩り」というゲームデザインの風化 もう、はぐれメタルではドキドキしない

 ライターの渡邉卓也氏が書いたこのコラムがなぜ炎上してしまったのかと言えば、記事中の以下の発言が問題視されたためだ。

『HD-2Dリメイクに存在するのは淡々としたメタル狩り。プレイヤーにとっては動画でも見ながらやる面倒な作業になってしまう』

『実際、筆者はこのメタル狩りが面倒で投げ出しそうになった。しかし、メタル系モンスターが逃げなくなるMODがあったのでなんとかクリアできた』

 要するに「面倒でつまらない(と渡邉氏が感じる)レベル上げを簡単に効率よく終わらせる事ができるMOD(非公式の改造プログラム)を導入する事で、何とか飽きる前にゲームをクリアできた(それくらいドラクエのレベル上げは作業的でつまらないよ)」という内容を、ゲームライターとして記事化してしまった訳で、それに対して『そもそもゲームにMODを入れる事の是非』や『ゲームレビュー(実際にはコラム)を執筆するにあたって、内容をMODで改変したものをベースにして良いのか』という批判が噴出した形だ。

 自分は炎上騒動でこのコラムを知ったので、多少の先入観を持って記事を読んだのだけれど、正直炎上した内容のくだらなさよりも「この程度でコラムを名乗って記事化できるなら自分にも書けるわ」と思ってしまったので今これを書いている--とか正直に書くと荒れるかもしれないが、こんな所で嘘をついても仕方ないので続ける。

<炎上したコラムの問題点はMODの利用ではなく、その『浅さ』にある>

 まず、自分は渡邉氏のコラムは『浅い』と思う。

 MODの導入がどうこうとか、ライターとしてのモラルがどうこうという話はこの際どうでもいい。そこは関係ない。『昭和のゲームであるドラクエをリメイクして令和の世に出すのに、相変わらず単調なレベル上げをさせられるのか』という感想も、まあそんなに炎上するほど間違っている訳でもない。問題は内容が『浅い』事で、彼が感じた問題点に対する個人的な解決方法が『MODを入れて飽きる前に終わらせた』でしかない所だ。こんな浅いコラムでは、「そんなに嫌ならMODを入れてまでやらなければいい」という反論が各所から上がって来るのも当然の話だ。

 ゲームコラムと言うのであれば、記事のサブタイトルである『もう、はぐれメタルではドキドキしない』の部分をもっと掘り下げるべきだと思う。

 「昔は面白かったはずのメタル狩りにドキドキできないのはなぜか」

 「レベル上げ自体を作業的に感じてしまうのはどうしてか」

 「昭和のゲームと令和のゲームで、プレイヤー側のゲーム環境や、プレイヤーがゲーム体験に求めるものはどの様に変化しているか」

 最低でもこの辺りを、読者が納得できるレベルまで掘り下げる事ができれば、コラムとしての強度がもっと増すと思う。仮にその結果が「令和の今はもっと素晴らしいゲーム体験を与えてくれる作品が他にもあるから、あえてドラクエの旧作をリメイクする必要はないし、プレイヤーがあえて本作を選ぶ必要もない。少なくとも自分はそう感じるので、途中で飽きてしまったこのゲームを止める事にする」という形になったとしても、「MODを入れて何とかクリアした」みたいな無理矢理な内容を書くよりはよほど潔い。

 実際、渡邉氏もコラムの中では「昔は面白かったはずのメタル狩りにドキドキできないのはなぜか」という部分について、『他の最新のゲームと比較して、演出が地味である』という点を挙げてちゃんと書いている。他のゲームの様な派手さや射幸心を刺激される様な特別な演出が無く、単調なのではないか。だから飽きてしまうのではないか。そして飽きてしまったとしても、ゲームをクリアする上でレベル上げが避けて通れないから、YouTubeの動画でも見ながら片手間で嫌々やる様な単調な作業になってしまうのではないか、という訳だ。だったら渡邉氏自身がそう感じた問題点を、もっともっと丁寧に掘り下げてみようぜ、と自分は思う。

 --と、ここまでが1,600文字くらい使った『前置き』で、以下に自分が思うゲームコラムを書く。長いな前置き。

 ちなみに自分は昭和のドラクエを小学生時代にリアルタイムでプレイした世代のおじさんであって、今プレイしているのは『ドラゴンクエストⅢ HD-2Dリマスター版』の方だ。渡邉氏がプレイした『ドラゴンクエストI&II』とは異なるのだけれど、I&IIをプレイする前にようやくⅢに手を付けている所なのでご了承願いたい。(今、各地のオーブ集めをしている所です)

 とはいえ昭和にプレイしたオリジナル作品群との比較と、ドラゴンクエストHD-2Dリマスターシリーズの共通システムの部分について書いて行こうと思うので、そんなに的外れな内容にはならないと思う。

<昭和ドラクエを遊んでいた自分から見る、令和ドラクエが失った『冒険』>

 まず、「昭和のドラクエにとってレベル上げは、それ自体が『冒険』だった」という事ははっきり書いておく。

 レベル上げはゲームクリアのための『作業』ではなかったし、モンスターやボスとの戦闘は、ゲームのシナリオをエンディングに向かって読み進めるために乗り越えなければならない『障壁』でもなかった。レベル上げを含めた戦闘それ自体が『冒険』だった。

 これはなぜかと言うと、そもそも昭和の、ファミコン時代のドラクエには「重厚なシナリオ」や「目を見張る映像表現」を提供できるだけの容量が無かった。各地のNPCが話す台詞も、メインのストーリーもサブクエストも、そんなに多くは入れられない。フィールドマップも、街やダンジョンも、実装できる数には限りがある。そんな中で、例えばドラクエⅠのシナリオだけを抜き出して動画にしたら、数十分で終わってしまう。(ドラクエⅠのHD-2Dリマスター版でも、既にそんな動画はあるけれど)

 その、誤解を恐れずに言えば『短い物語』を、プレイヤーが長い『冒険』として感じられるために、短い物語の行間を膨らませてくれていたのが「モンスターとの戦闘」であり、令和の今では単調だと受け止められてしまう「レベル上げ」だった。戦闘にかけられた時間=冒険の長さを感じられる時間だった。『タイパ』重視で、倍速で動画を見る事も当たり前の令和では理解されにくいかもしれないけれど。

 これは小説や漫画とも似ている。たとえば小説を読み進める中での時間経過は、文字数やページ数とリンクしているし、漫画で言えばコマ割りやページ数とリンクしている。(今自分が書いているこの文章だって、みんなもう長いなと思っているでしょう?)

 当然作者は言葉ひとつで何時間でも何日でも何年でも作中の時間を飛ばす事はできるが、読者の体験を作中の時間経過とリンクさせるためには、実際に物語を読み進めるのにかかった時間やめくったページ数がものをいう。

 だから小学生だった自分がドラクエⅠをプレイしていた頃には、荒いドットで表現された世界で、この短い物語を『壮大な冒険』として体験するための裏付けが、モンスターとの戦闘そのものだったし、レベル上げにかかる時間そのものだった。ゲームをクリアするまでに積み上げなければならない戦闘回数と、獲得した経験値と、更新されて行く装備と、そこに至るまでの時間の長さが『冒険』だった。

 膨大なシナリオやイベントが最初から盛り込まれている現代のRPGや、それらがサービス開始から順次実装されて行くライブサービス型のソーシャルゲームやMMORPGがまだ存在しなかった時代、ドラクエシリーズを壮大な冒険の物語にしてくれていたのは、間違いなくレベル上げのために戦い続けたあの時間だった。令和の今、それが無意味な作業に思えるとしても。

<変わりゆくゲームシステムによって失われた『駆け引き』の面白さ>

 そしてもうひとつ、自分が『冒険』と呼ぶゲーム体験の裏付けになっていたものが、ゲームデータのセーブ周りのシステムだったと思う。『ゲームシステム』もまた、昭和のドラクエのゲーム体験の良さを担保していた。

 昭和のドラクエでは、ゲームの進行状況を保存するためには「街の教会に戻り『おいのりをする』」事が必要だ。各リマスター版で実装された中断セーブや、オートセーブは存在しない。もっと言えばドラゴンクエストIやIIの頃は『ぼうけんのしょ』すらなく、『ふっかつのじゅもん』をメモして再入力するしかなかった。これが何を意味するかと言えば、プレイヤーの準備不足や慢心、ケアレスミス、また不慮の事故によって、頻繁にゲームの進行状況がリセットされるという事だ。

 数時間プレイしたゲームの進行内容が、少しの油断でパーティーが全滅して消え去る。『おお◯◯よ! しんでしまうとは なにごとだ!』という奴だ。プレイヤーは攻略途中のダンジョンやフィールドマップから退場させられ、所持金が半分になり、特定のリスポーンポイントから攻略をやり直すしかない。リマスター版の様に、直前のオートセーブから再開させてくれる様な優しい仕様になっていない。

 一方リマスター版では、オートセーブが頻繁に行われるおかげで、全滅がほぼノーリスクになっている。オートセーブから再開すればそもそも『ぜんめつ』の回数としてもカウントされないし、所持金も減らない。自分は『ラーの洞窟』の攻略中にミミック戦でザラキを連発されて全滅したのだが、この仕様に気付いて拍子抜けしてしまった。本来、こんな雑なダンジョン攻略をしてはならない。宝箱を開ける事そのものに慎重さが求められたり、パーティーメンバーにしっかり『いのちのいし』を持たせておく等の対策が必要な所だ。レベルが足りないならレベル上げも必須になる。だがリメイク版のドラクエではオートセーブから再開できるおかけで単純な試行回数のゴリ押しでもノーリスクで何とかなってしまう。

 令和では『死にゲー』と言えばフロム・ソフトウェアの高難易度アクションRPGの代名詞だが、『死にゲー』というジャンル名すら無かった昭和の時代、本当は『ドラクエ』や『ウィザードリィ』シリーズこそが『死にゲー』だった。ダンジョンに挑む際の事前準備やレベル上げ、そして撤退時期の判断は冒険を成功させるために必要な攻略要素であって、そこにはゲーム側とプレイヤーの、一種の『駆け引き』の面白さがあった。

 『DARK SOULS(ダークソウル)』や『ELDEN RING(エルデンリング)』に例えるとすれば、「来た道を安全に引き返して手前の篝火(祝福)に戻るのか、まだ先に進めると踏んで更に奥に踏み込むのか」という駆け引きがそれだ。「エスト瓶(聖杯瓶)の残り使用回数は何回分あるか」「レベルやステータス、消費アイテムや装備は足りているか」「既に一度やられて血痕を回収しに行かなければならない状態なのかどうか」「この先に待ち構えるボスは倒せそうか」といった状況判断にゲーム的な面白さが生まれるのは、デスペナルティが重いからだ。そしてそれはドラクエでも同じ事だったのだが、「ダンジョンの奥に進むべきか、リレミト(ルーラ)で脱出して態勢を立て直すべきか」という判断をするゲーム性は、オートセーブの導入でほぼ失われてしまった。事前準備もそこそこに、とりあえずフィールドマップやダンジョン内を行ける所まで行って、頻繁に全滅させられてしまう様だったらオートセーブから再開してルーラで離脱する(リレミトも不要)という事が出来てしまう。(何なら離脱したダンジョンの入口にルーラで戻って来る事もできる)

 そこで初めて『レベル上げ』が必要になるので、ダンジョン攻略における全滅とやり直しによって行われる『自然なレベル上げ』が失われた分、それを補填するための『作業的レベル上げ』の時間が長くなってしまう。レベル上げそのものがリトライを含むダンジョン攻略という一連の『冒険』の流れに組み込まれないから、渡邉氏が嫌う『動画でも見ながらやる面倒な作業』としてのレベル上げだけが残り、嫌な事をできるだけ短く、効率良く済ませたいから『メタル狩り(MOD入り)』で何とかしようと考えてしまう。自分がそうならないのは、小学生時代に昭和のドラクエの作法を叩き込まれたせいで、そもそもダンジョンに挑む前にはレベル上げをするのが当然だと考え、またレベル上げそのものも『冒険』の一部としてとらえているからだ。

<かつての『冒険』が、ただの作業と化す『タイパ』社会>

 この様に、リメイク版のドラクエに導入されたオートセーブは、昭和のドラクエが持っていた「この橋を今渡って大丈夫か」「このダンジョンに挑むための準備は万全か」という緊張感やゲーム性を潰しているし、『死にゲー』としての駆け引きの面白さも潰している。リレミト(ルーラ)が使えるパーティーメンバーが死んでしまってダンジョンの最奥で詰むという事ももう無いし、ピンチでにげるを選んでまわりこまれてしまっても、運悪く一回のザラキが仲間全員を即死させても、昭和のドラクエほどのショックはない。シナリオが大きく変わらなくても、セーブ周りの仕様がひとつ変わっただけで、同じゲームの手触りはここまで変わってしまう。

 ただこれは「令和の時代には仕方ない事なのかな」と思わなくもない。昭和の「全滅からやり直しを際限なく要求するゲーム」には確かに昭和の面白さがあるが、これは『携帯電話の普及で待ち合わせの時間を守らない人が増えた』様なもので、今更「携帯を捨てろ」「事前の約束の時間を守れ」と言っても無理なのと同じだ。キャンプや登山に行くにしても、昭和は事前準備の重要性が生死を左右したが、今は遭難者が山奥から携帯で助けを求められる時代でもある。そこで老害の様に説教臭い事を言っても始まらない。

 何より今は、親から見れば『ファミコン中毒』だった自分たちの世代が、みんなこぞってドラクエに飛び付いていたあの時代ではないのだ。ドラクエ以外にもゲームはあり、これからも新しいゲームは作られ続け、既に世界に存在しているゲームの数は、ゲーマーひとりがその人生一回で全て遊び切る事ができる数をとっくに超えてしまっている。日本のRPGの、あるいはゲームの頂点をドラクエやFFが競い合っていた時代、ドラクエが抱き合わせ販売されていた時代、発売日に長蛇の列ができ、カツアゲで社会問題になっていたあの時代はとっくに過去になったのだ。

 でも個人的には、渡邉氏にはぜひ『オートセーブからの再開無し縛り』で令和のドラクエを遊んでみて欲しいと思う。(全滅時『教会から再開する』を選ぶ事で一応可能)そうする事で令和のドラクエは昭和のドラクエに少しだけ近付くからだ。その上で、レベル上げすらも冒険の一部だった頃のドラクエを、タイパ的な効率から少し離れて触ってみて欲しい。それでもなお「こんな作業ゲーはメタル狩りをMOD入りでやらないとやってられない」と言うのなら、それを言われた自分も「昭和のドラクエが自分たちに提示していた『冒険』は、タイパ重視の令和では色褪せてしまったんだな」と、一応は納得できると思うから。

@kuroinu2501
あまり吠えない犬です。