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その手に希望という名の傘を・上遠野浩平『ブギーポップ・ナイトメア 悪夢と踊るな子供たち』

黒犬
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公開:2025/7/12

 誰もが可能性や未来という名の『火』を胸に灯している。でもその一方で誰もが等しく『雨』に打たれ、少しずつその熱を失い--やがて燃え尽きて行く。

 そうした世界を描いてみせる人が、「傘を差さずに雨に濡れながら歩く」という行為に自己陶酔的な意味を見出していた過去を持つというのは、何というかとても納得感がある。それは「変わった人だな」という理解ではなくむしろ逆で、その誰もが一度は通ったことがあるだろうありふれた自己陶酔を、ありふれた体験のままで終わらせずに作品に昇華してしまう姿勢が、その視座が、この作品の作者としてとても「らしい」ことの様に思えるからだ。

 誰もが同じ現実世界を生き、誰もが同じ様に傘を持たず雨に打たれた経験を持つ。その個々人の体験は共通していても、その先に違った色の『世界』を見る人がいること。それは作中で特殊な能力、異能を持った登場人物たちが見ているだろう『世界』の姿を垣間見る様でもある。そしてその特殊な能力や特別な視座が、優れた能力や才能、ギフトの様なものとして他者から評価される一方、能力者本人にとっては、この世界が決して生きやすい場所ではなく、自分が持つ能力もその『生き苦しさ』を取り除く役には立たず、むしろ痛みであったり、その身が縛られる様な不自由や重荷、あるいは枷として機能してしまうという本作での描かれ方にも繋がっている。そう、傘を差さず雨に濡れながら歩く感性を持った人にとって、現実が棘となってしまうことがある様に。

 特殊な能力を持った人が、その能力によって、またその能力を開花させたことによって評価され、報われ、自身の居場所を得る。そんな物語が好まれる一方で、本作では未来視の能力者がいれば、その人は他者が知り得ない未来を覗き見てしまうことによって、未来をそのまま受け入れるのか、干渉するのか、干渉するならばどこまでなら許されるのか判断を迫られ、その自身の判断の結果責任を背負うことになる。それは決して能力者本人が生きることを助けてはいないのだが、かといってその自分と重なり合って存在している能力を、自らの意思で切り捨ててしまうこともできない。現在の自分自身を規定する構成要素の中には、その能力の存在が間違いなく含まれているからだ。

 小説のジャンルとして『異能もの』などと呼ばれているものがある。本作もまたシリーズ全体としては異能ものに分類されることもある。様々な特殊能力『異能』を持った登場人物たちによって、また異能者と特別な能力を持たない人々との対比によって物語が織り成される。ただ本作における異能は、能力者本人の意志によって選び取られたものではなく、多くの場合は自らの意思を反映されない形で自然発生したり、付与されたりした『不自由な力』という形を取る。自動的に浮かび上がってくる不気味な泡しかり、合成人間しかり、MPLS(本シリーズにおける一種の超能力者)しかり。それは異能ものという枠を当てはめずに考えれば、まるで自分の都合などおかまいなしに様々な役割や責任を押し付けてくる現実そのもののようでもある。そして自分たちはその能力の有無や力の大小に関わらず、この現実世界の中で各々が自分自身と向き合い、世界全体と比べれば矮小な自己の存在を受け止めて生きていくしかない。みな等しく、同じ雨に打たれながら。

 その止まない雨--〈パープル・レイン〉を見る事ができる者もいれば、見えない者もいる。傘を持つものがいれば、ただ雨に打たれて歩くしかない者もいる。誰かと肩を並べて歩く者がいれば、ひとりで歩く者もいる。皆それぞれ、同じ雨に打たれながら、胸に灯した火を何とか守っている。それでも同じなのはいつかみな燃え尽きる日が来るという事。

 ただ自分が本作を特別なものとして見るのは、こうした本作を貫くある種の『無常観』や、虚空の彼方から自分たちを観察する超然とした視線の存在と同じラインに、『大事な誰かのための傘たり得るかもしれない私』という身近な、誤解を恐れずに言ってしまえば陳腐な、ありふれた、卑近な、それでいて得難い『希望』が、ちゃんと置かれているという点にあって、それもまた「傘を差さずに雨に濡れながら歩く」事を自己陶酔だと言いながらも好んでいた人の感性から見える世界に、その優しい色が含まれていたからなのだろうと思う。本人がどう言うかは別として。

 止まない雨の中で、傘を持つ人もいれば持たない人もいて、その傘の大小もきっとある中で、自分の傘に誰かを招き入れる人がいる。その人は相手が濡れない様に自分の肩を濡らしながら歩くのかもしれないし、小さい傘に身を寄せ合って互いに少しずつ濡れて歩くのかもしれない。傘を持たない同士で寄り添う人がいて、ひとりで歩く人だっている。誰かに傘を奪われる様な悲しい事だってあるかもしれない。優しい人たちばかりではなくて、他者の存在に傷付けられる日があって、ただ俯いて濡れ鼠になる日がある。

 でもそれを、その全てを飲み込んで、それでも飾らない希望を置いておく。

 物語の中に。現実にもまた同じ希望があるようにと。

 自分は本作を、そう読む。ただ雨に濡れて歩くだけの事に自分自身で意味付けをするように、物語の中に希望が置かれているものとして、この作品を受け止める。それもまた答え合わせを必要としない自己陶酔の類なのかもしれない。それでもなお。

 希望があれば、濡れながら歩く事にもまだ、耐えられそうなので。

 

@kuroinu2501
あまり吠えない犬です。