今自己肯定感がちゃんとある。
30歳の今、自己肯定感がちゃんとあるという自覚がある。けど、20代で思っていたのと違うので、その記録を残してみようと思う。
20代までずっと、自己肯定感がほしかった
ずっと自分に対して嫌な気持ちがあった。自分を好きになるって??こんな出来ないことだらけなのに?周りはあんなに出来てるのに、自分なんて、、!ばっかり。「自分好き!」そんな自己肯定感ある自分になりたい!思っていて、「自己肯定感これだけでつく」とはみたいな啓発本を読みまくっていた。気を張っていて、頑張っていた。頑張ってるからこそ、自分が好きになれると思っていた。夜遅く、朝早くスタバに通ってパソコン開いて、デザインの勉強したりしていた。
自己肯定感、おもてたんと違う
30歳の今、自己肯定感はちゃんとある。でも、あの頃目指してたみたいな自分好き!自信たっぷり!とはほど遠い。「まぁ、こんなもんでしょ」「出来ないこともあるけど、こういうところはいいしね」というゆるい感情。20代前半で目指してたようななりたい自分には全然届いてない。でも別にいいんだよね、これでと思える。成長が止まった?お前はそこで終わり?諦めた?そう言われるのかもしれないけどそれとは多分また違う、真の自分を受け入れる、と言う感覚。
調べてみると自己肯定感と自己効力感は別らしい。私がこれまで自己肯定感だと思っていたものは自己効力感で、「できてる自分だけを受け入れる」力なようだ。自己肯定感は「ダメな自分もこれはこれだよね」と思える力らしい。まさにそんな感じ。
親から、地元から離れたから
でもこの年末年始に、実家に帰って自分の部屋に入った途端、ずんと自分に自信がなくなり重みが加わった。叔母さんにちょっとやなことを言われただけで泣いてしまった。あの頃の弱い自分が出てしまった。東京という街で、なりたい自分を演じ続けた結果、自己肯定感のある自分になれたのかもしれない。
今頑張っとけばあとで楽だよ
とはいえ、若い頃に頑張った事が今に生きているのかもしれないなとも思う。若い頃言われた、「今頑張ればあとで楽だから」「努力は無駄にならないから」という呪文のような言葉。あの言葉を聞いて自分を騙しながらやってきたことが今効いているのかもしれない。たしかに、いろいろやってきたし、やってきた経験が真の自信になっている感覚がある。J.Y Parkも虹プロジェクトで「自信を持つためにどうしたらいいか」に対する質問でそんなようなことを回答していた。
でもこんな気持ちになれるの多分今だけ
こんな文章をゆったりと書けるのは多分正月明けで心のゆとりがある今だけなのをなんとなく分かっている。これから仕事が忙しくなって、新しい仕事の壁にぶつかって、また「なんで私はこんなできないんだろう」のループに入る。今はそのメソメソ期をすぎたあとのボーナスタイム。
まぁそうやってちょっとずつ成長しているんだろうし、こう思えるときだけでもしっかり「じぶんえらいな」と記録しておきたいなと思った。
おしまい。