自宅最寄りの埼京線はしばしば遅延する。
コロナ禍前に新宿に仕事に行っていたときは、朝9時出勤に対して自宅の出発は6時30分。6時50分頃の埼京線に乗り、所定の到着時刻は7時30分頃。運良くその通りに着けば新宿のカフェで待機する。そんな生活を送っていた。
10年くらい前、まだ自分専用の車がなく実家から会津若松市内の職場にバスで通っていた時代。冬場は豪雪で路面が荒れ、バスはしばしば遅れた。珍しく時間通りにバスが来たと思えば、バスの方向幕をよく確認すると45分遅れだったということもある。
列車やバスが時間通りに着くのは運が良ければ。移動以外の予定でも、いつどういった「邪魔」が入るかわからない。邪魔というと他人の行為という意味合いが入るが、何もそれに限らず、自分自身が体調を崩したがために進行不能という可能性もあるかもしれない。
そういう認識が自分にはあるので、あまりタイトなスケジュールは組みたくない。必ずプランBやバッファーを意識する。
運良くオンタイム進行すれば、暇を持て余すことになるかもしれない。仕事の時は、その姿を晒すのはしばしば職場環境という意味ではよくない場合もあるが、外聞を気にしてタイトなスケジュールを組んで、もし崩壊したら余計に外聞が悪くなる。
災害の激甚化。インフラの劣化・崩壊。それは日常生活におけるリスクを日に日に高めていく。
「当たり前」が崩れていく。自分の生活に必要なもの、必要なインフラについて、使えなくなったらどうするかということを、資金やスペースなどの制約を考慮しつつ、意識して備えていくことは、これからの時代は特に、避けて通れない。
いまはライフラインに依存しない住環境を研究している企業もあるが、それもまた、そういった備えの一つの考え方なのだろうと感じた。