正義の本を読みました

kurosuke
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マイケル・サンデルさん著のこれからの「正義」の話をしよう を読んだ。2010年に発売されて、その時話題になっていた本だけど、今読むべきして読んだなって感じで面白かった。

思わず泣いたポイントをいくつか

カントの話

イマヌエル・カントさんという300年くらい前の哲学者の話が出てくる。彼の道徳的な義務と権利の話はとてもとても厳しくて理想的で自分の考えとは相容れないものだったけどまぁめちゃくちゃ泣いた。感謝した。ありがとう。

彼の話では、道徳的行動とはその動機によって決まる みたいなことを言う。結果のよい悪いは関係なく、「なぜ」それを行ったのか。それは「何らかの不純な動機ではなく、そうすることが正しいから」という動機のときのみその行動は正しいと言える。

「善い意志はそれが及ぼす結果のために善いのではない」

「たとえその意志が、その意図を実現するための力をまったく欠いていたとしても、あるいは最善の努力を払ってなお、なにも達成できなかったとしても、その意志はあたかも宝石のように、すべての価値を内包するものとしてそれ自身のために輝く」

この人は人間のことをどんだけ信じているんだろう。そんなあたかも宝石のような、それに値するような意志や動機が人間の中にあると思ってるんだろうか。思ってるんだな。すごいな。自分では人間そんなきれい違うくない?と思うので動機が不純であれ結果がよければ正しいことじゃんて思う。相容れない。

結果が善くても動機が不純である場合、それは正しい行いとは言えない。厳格にこれは繰り返し繰り返し書かれる。相容れないと思う。自分はそんな正しくきれいな動機で動ける人がいるだなんて思っていないのでなんというか、そうだったらいいよね、本当にねって思ってしまう。

その後の「生き続ける義務」のところでめっちゃ泣いた。

続けてカントさん曰く、ほとんどの場合、生き続けるための行動は道徳的行動とは関係ない。シートベルトを締めたり、健康に気をつかうのは正しいからではなく、自分の将来を考えたゆえの行動だからだ。

カントさんは、人間が生き続けるのは傾向性であって、義務感からではない。

でも、「将来に希望が持てず、惨めな気分に苛まれている人」が、「人生に絶望しもう生きていたくないと思う人」が、傾向性ではなく「義務」として生き続ける意欲を奮い起こしたのなら、その行動には道徳的な価値がある。と言う。

めっちゃ泣いた。なんかここすごい泣いた。その行動に意味があると言ってくれることが嬉しかった。その価値に「あたかも宝石のような」と表す人が、その行動にその価値があるという。すごい泣いた。

生きたくないときに生きるための行動をすることはとても難しい。生きていれば、とか、誰かが悲しむから、とか、そういうのを聞きたくない時、それでもごはんを食べて仕事をして生活をすることを、なんというか、肯定してくれている気がしてなんかすごい泣いた。理由は必要なくて、ただそう行動することそのものに価値があると言ってくれていて、なんだか嬉しかった。

これ多分、自分と相容れないことを言う人が、人間の本当に正しい行動とは不純な動機であってはいけないなんて言う人が、そこを肯定してくれたことが嬉しかったんだと思う。

また、「助けたいと思う気持ちはない」のに「誰かを助ける」とき。それもまた道徳的に価値のある行動ともいう。

何か正しい行動をして喜びを得たとしても、そこは問題ではない。その喜びによって、その行動の道徳的価値が損なわれるわけではない。善行が喜びをもたらすかどうかではなく、そうすることが正しい、という動機で行動することに価値がある。

お言葉ですがって言いたいこといっぱいあるけどここはすごい感謝した。それはそれとして言いたいことがたくさんある。

マッキンタイアの話

本の終盤に出てくるアラスデア・マッキンタイアさん。この人の話にとても共感したので次はこの人の本を読みます。

この人は、人間を物語る存在として書いているそう。人には自分の意志や選択とは関連性のない属性がついて回る。それを個人の自由だからと切り離して考えるのではなく、物語的に考える方法を説いている、らしい。

この本はもともと政治哲学の本なので、主旨と外れていることは承知してるけど、人生を物語としてとらえるのはここ数年を経て、いまの自分にめっちゃ効く。すごい泣いた。急に物語的って言葉が出てきてなんかすごい泣いた。

なにか意味があると思いたい。いま生きて行動していることが無意味であることが怖いと思う。でも個人の自由だけが正しいなら、個人が死んだら何も残ることはないじゃないか。自分の属性(性別とか国籍とか血筋とか色々)と自分が全く関係ないなら、それって、自分が死んだらそれで終わりってことにならない?親と子供が関係ないなら子供と親は関係ないし、自分と国が関係ないなら、国だって自分とは関係ないよ。伝わるかな。自分から切り離したら、切り離された側だって自分と関係なくなるよね。いいとこどりは納得できない。

社会の一部に自分がいるなら自分の行動がなんらか影響していて、その影響を認めることだってできる。それは社会と自分は関係ないって言ったら成り立たなくない?

物語は意味を与えてくれる。この行動も意味があるとしてくれる。気がする。ここ数年好きになった人たちはそう生きているような気がしている。

いま読むべき本だったなって思った。めちゃくちゃよかった。正義の話ずっと出来る。たのしいね。