3月23日(土)雨|落下の解剖学、事実は見る角度によって全く受け取り方が変わること、ロイホ

 『落下の解剖学』を観るために友人と天神で待ち合わせ。ここ数日晴れが続いていたのに、なかなかの雨模様。上映まで少し時間があり、同じ建物内にあるフライングタイガーをふらつくことにした。春らしい明るい色味のものが多く、土砂降りの雨の日なのに気分が晴れてくる。デイリープランナー的なものを発見し、物理的に記録を残すのにいいと思い購入。

 映画は、出だしから音楽が大音量でかかってものすごくストレスだった。ただ、そのおかげで音楽になにか意味があるかもと思えて、その後ダニエルが歪な音色のピアノを弾く場面がきたときに、確信に変わった。あの宇多丸さんも、音楽の面から少し解説していたのでうれしくなった。

 自分がいかに情報や人を主観的に見ているかを思い知らされる映画。妻が怪しい、いやでも夫の言い分も一理ある、そもそも息子も怪しくないか?と、ダニエルも言っていたように何を信じればいいのか分からなくなるほどだった。息子が泣いているときに、妻がその悲しみをなかったことにしようとしている時点で妻に対して穏やかでない目線を向けるようになり、それがだんだん物語が進むにつれて深くなる感じ。あと、夫との話し合いを時間の無駄だと言ったり、人格否定をしたり、自分のことは棚に上げて相手を責め立てる姿勢にも圧倒された。でも、それすらも本人の弁明の仕方で印象が変わり、逆に被害者のような気もしてくる。肝心の夫はもう口を開かない。結局息子は母親のために嘘をついたということなのか。犬はなんなのか。バイセクシュアルの設定は必要だったか。いろいろ疑問は残る。「君がやったかどうかはどうでもいい。裁判は、事実よりもどう見えるかで確からしい方を決める場所だ」というような弁護士の台詞がいまも残っている。事実、いま世間を騒がせている裁判も、そうした行為はあったのかなかったのかでは重要ではなくなってきている気がする。あと、もう一人の弁護士が検察側とほんの僅かな可能性のことで争っているときに、「私がこの先大統領になる可能性も否定できない」といったようなことを返していた場面、大事なことを言っていた気がするから叶うのならもう一度観たい。

 映画を観たあとは、友人がロイホに誘ってくれた。先週オムライスを食べる夢は叶ったので、ここ数年前ずっと食べたいけど値段でためらっていたステーキピラフを思い切って頼んだら、信じられないくらいおいしかった。このピラフだけを頼みたいと思うレベルだった。

 ドリンクバーと座席を何往復もするほどの時間を過ごし、解散。ロイホのドリンクバーは、コーヒーがドリップだから好き。

@kusundatofu
いろんなところではみ出しながら生きています。郷土玩具、ラジオ、無駄なものが好き。