父親が入院する日。部屋にいた私に玄関から「行ってきます」と大声で父が叫んだ。いってらっしゃいと送り出した後、雨も降っているし車で送っていけばよかったと後悔。なぜいつもこう思考がワンテンポ遅れるのだ。いくらその後面接があるとはいえ、往復で30分もかからない道のりだ。せっかく無職なのにこういうときに動かなくてどうすると、その後思考は止まらなかった。落ち着くために、アルミ鍋に入っているインスタントのキムチチゲを作った。ピリ辛な味が身にしみた。
職業訓練の面接は思ったよりもあっさりしていた。むしろこれで何を見られているのかというような質問ばかりだった。こればかりは心配してもしかたないし、自分にできることはやったのであとは天命を待つしかない。そちらに行くべきであれば自ずと道は拓かれるはずだ。
夜、テレビ大好きな母親が何も見るものがないと寂しそうだったので、ずっと見たかったオダギリジョーの『僕の手を売ります』を見ることにした。オダギリジョーが全国を回りながら、日雇いのようなかたちで自分にできることをして収入を得ていた。いま「賃金を得る=どこかに所属する」のような感じでどうしても考えてしまっていたけど、なにも一か所にとらわれずに転々としたっていいし仕事の内容も明確にしなくてもいいのかもしれない。そう考えて、早速全国のお手伝いバイトのサイトを検索してみた。果物の枝切りの仕事などがあり、まさにこういうことだと思った。なんなら、職業訓練にいきながら両立できる可能性がある。「僕だったらできることがたくさんあります」と堂々と言っているオダギリジョーはかっこよかった。私もできることはこの数年で増えたから、あとはどう活かすかだ。むしろやっていないだけでまだまだできることもたくさんありそうだ。
見慣れないメールアドレスから「元気ですか?」とのタイトルでメールが届き、はじめは詐欺かと思った。開けてみると、4年前の自分からのメッセージだった。何度読んでも自分が書いた文章とは信じがたく、送信元からのテンプレートかと思ったが、違った。やはり4年前の自分がいまの自分に送ったものだった。当時の自分は「いまの私は、自分の来た場所が果たしてここでいいのかどうか迷っています。本当にやるべきことは他にあるはずなのに、まだそこにたどり着けていません」と綴っていた。その頃から比べると、いまは「ここに来てよかった」と思える場所にはいると思う。オードリーだって、毎週のラジオを10年続けたことで東京ドームを埋めるイベントができたのだ。「これが何になるんだ」と思うようなこともあるかもしれないけど、それでもいつかどこかにたどり着けると信じて日々できることをやるだけだ。