2月16日(金)曇り|日記は誰かに読まれることを想定して書いているか、それとも自分のためだけか

朝起きてすぐ、昨日の夜みさこさんからもらっていたリプライに返事をしようとアプリを開く。あまり変なことを言っても返答に困るかも知れないし、「楽しみにしています!」とかを伝えるとプレッシャーになるかもしれないし、でもかといって何も言わないのは…と考えが堂々巡りになっていたら昼過ぎになってしまったので、結果ハートを押すに留める。昔一緒に暮らしていた人が、私がその日にあった出来事をメッセージで送ってもスタンプだけで返してくることがあって、なぜかと聞いたことがある。その人は、「いろいろ書きたいことはあるけど、でもあまり書いてもあれだからいろいろな気持ちをそのスタンプに込めているの」と言っていた。そのときは書きたいことをそのまま送ってくれればいいのにと思っていたが、いまならその気持ちが分かる。

今日は前職で手掛けていたフリーペーパーの発行日で、父親が持って帰ってきていた。ついつい気になって読む。高校生の頃憧れていた仕事を最近までしていたんだな、と思うと感慨深い。当事者から一読者の視点に戻れてホッとした反面、少しさみしい気持ちもないとは言い切れない。

Bloodborneは、ローゲリウスが何度戦っても勝てなくて少しやる気が落ちているので、ずっと原神をしていた。昼は一人で、夜は妹と。最近、あまりにも育てたいキャラが多すぎて、とうとう追加の課金をした。素材欲しさ半分、これだけの充実感を味わっているのにお金を払わないわけにはいかないという気持ち半分。早速ガチャも回したけど、欲しかったキャラはまたしても出なかった。また石集めの日々だ。

妹にとある島か京都に行こうと思っているということを話すと、「その島って人口の半分が65歳以上らしいよ。今年は伴侶を見つけたいんだったらやめておいたら?」と相変わらず私の考えていなかった角度から意見をくれた。「京都は学生の流入が多くて若い世代がたくさんいて、65歳以上も30%切ってるよ」と言うので、やはり行くなら京都かなと思った。島は、青春18きっぷとかで旅行がてら滞在しよう。

たまたまSNSで「34歳、友達なし、恋人がいたこともない」という人のアカウントを見つけた。私は一人が好きな方だけど、もし友達がいないとなったら人生は無味乾燥になるだろうなと思う。大学に入りたての頃は、あまりにも友達ができなさすぎて、一人でカフェに何時間も篭って、自分のどこがだめなのか、どうしたら友達ができるのかをひたすらノートに書いていたこともある。だからこそ、友達がいないことの寂しさはとてもよく分かる。一人が好きなことと一人になることは全然違う。

一人でもいろいろな体験はできるけど、その体験したことを自分の心の内だけに留めておいたらそれ以上の広がりはない。だから、誰も話す人がいないというときは、こうして日記などに認めて世の中に出す手段を選ぶだろう。でも、いまでこそ話せる人もいるのに、こうして日記を全世界に公開しているのはなぜだろう。自分の交友関係の枠からはみ出た人にも届いてほしいからか。それとも、こんなふうに日々生きていた人間がいたという記録を残しておきたいからか。

日記は誰かに読まれることを想定して書いているか、それとも自分だけのために書いているかという問いかけがある。私はずっと後者だと思っていたけど、いろいろ言葉を選んでいる時点で前者かもしれないと最近考えを改め始めた。この日記とは別に、手元に手書きでつけている誰にも見せていない日記があるのだが、そこに向かうときの自分といまこうして文字を打っている自分とでは感覚が違うように感じる。手元の日記の方が、肩の力が抜けて自分と向き合っている気がする。ここの日記は、自分というよりは記憶と向き合っているように思う。どちらがいいというわけではない。ただ、同じ日記でも対象が変わると感覚も変わるというのは新たな発見だった。

@kusundatofu
いろんなところではみ出しながら生きています。郷土玩具、ラジオ、無駄なものが好き。