極端な例えだが、母親は「おにぎりの具は鮭が好きだけど、梅干しも捨てがたい」という話をしたとして「おにぎりって塩加減が難しいよね」と冒頭の”おにぎり”だけを認識して打ち返してくるようなところがある。
母親が買い物に行くが一緒に来ないか、と誘ってくるので「今日は生活リズムを無理やり朝型にするべく寝ないで夜通し起きていて運転はできない。助手席でいいなら」と前置きし、出かけた。帰宅し夕食を摂った後ソファでうたた寝をしてしまい、目が覚めて母親に「眠気が限界にきたから寝る」と伝えると「今まで寝てたでしょ」と笑われた。「今だけだよ。それまでずっと起きてたからね」と言うと、「寝てないってそういうこと?早く言ってよ」との反応だった。「ちゃんと伝えてたよ」と返すも、「そちらの説明不足なのでは?」と茶化された。おそらく母親の中では「寝てない」というのが「あまり寝られていない」に変換されたのだろう。あれだけ細かく説明したとしても、こうも伝わり方が違うのかと驚いた。
ただ、母親のような人は意外と多いのかもしれない。もしこれから先自分の書いたものがたくさんの人の目に留まるようになってきたときに、これと同じことは起こりうるのかもしれない。こちらが意図していない伝わり方をして、「そうとは言っていない」「いや、そう書いてある」の水掛け論に発展するかもしれない。たくさんの人に読まれるということはそういう宿命なのか。大昔に流行ったSNSの投稿への反応一覧を思い出した。
でも、ここでもやはり尊敬する森田真生さんが言っていた「それでも伝えることを諦めないで」につなががってくる。伝えることは諦めずに、ただそれが起きてしまったときの対処法については引き続き探っていきたいし次森田さんにお会いできたときに聞いてみたい。