2月10日(土) 天気:晴れ 水瓶座新月●|文章を書くときに批判的な自分が草葉の陰から覗いている気がする

母親にどこかに出かけようと言われたものの、行き先が決まっていないまま朝を迎えた。いつもうきはや朝倉方面になりがちだから、違うところがいいと探していたみたいだが、結局「行ったことあるところかもしれないけど…」という、うきはの道の駅的なところにあるビュッフェに行ってみようとなった。こういうときの行き先を決めるのは、基本的に母親に任せることにしている。提案はしてみるけど、だいたい「そこねぇ…」という返事で、母親の中では行きたい場所は決まっているため。でも、何も提案をしないと「行く気がないんやろうね」と変なモードに入るので、一応「私も探してみましたよ」というかたちだけは取ることにしている。これも長年のぶつかり合いの上で得た技。

実際に着いてみたら、初めてくる場所ではあった。ただ、道が混んでいたのもあり昼時は過ぎたころに到着してしまって、店員さんが「店内見てもらえますか」と声をかけてきた。最初は何のことか分からず、恐る恐るビュッフェのコーナーに近寄ってみたら、品数が減っていて量も少ないという状況だったので退散。物産館の方に行ってみたら母親がえらく気に入り、あれもこれも買っていた。特に柑橘類の品数と安さは目を見張るものがあり、大興奮していた。私は「オババの手作りおはぎ」なるものやご当地ラーメンなどを買ってみた。

お腹が空いたので、「近くにうどん屋さんとかあるのかね」という母親の言葉を聞き車で5分程のうどん屋さんへ。創業40年を超える歴史あるお店のようだけど、なぜか店内のBGMがK-POP縛りだった。バイトと思しき若い子が数人いたので、その子達の趣味なのだろうかと勝手に推測する。若い子が数人いて、オーダーを受けても「はいよー」と毎回ちゃんと気のいい返事をする厨房の人がいて、こういうお店は働きやすそうだ。カツ丼とミニそばセットを注文したのだが、ミニそばの器がすごく重くて、カツ丼を食べているうちにそばが冷めないようにしているのかも、というその心遣いに気付いたとき、お店に対して想像が膨らむスイッチが入った。ミニそばのだしも、顔に近づけた瞬間に丁寧に取られているのが分かるほどだった。サービスのお惣菜コーナーにも、だしを取った後の昆布を使ったであろう佃煮とかがあって、食材を無駄にしないという姿勢も読み取れた。それと、もう夕方近いのに、お客さんがひっきりなしに来ているのもツボだった。近所の人にも愛されているのだろう。極めつけは、麺を手打ちしているところがガラス張りになっていて外から見られるようになっているところだった。そういうこだわりは言葉としてはお店のどこにも語られていないけど、でもだからこそ伝わってくるものがたくさんあった。

帰宅後、おはぎを食べたら優しい甘さでとても美味しかった。3個入だったので、一つは母親にあげ、もう一つは帰りの遅い父親に取っておいた。「お父さん喜ぶよ~」と母親が言った。

今日は水瓶座の新月だ。今回のテーマは「自立」とか「個性」とからしい。3月からの自立に向けて、いろいろがとんとん拍子にうまくいくよう祈りたい。自然が多いところで美味しいごはんを食べて、お金の心配もなく、好きなときに起きて好きなことをして、気の合う人たちとのんびり暮らしたいなあ。

なんか最近自分の文章が自分のものではないように感じる。なんか窮屈。なんでだろう。書くことを仕事にする前は、もっとのびのび書いていた気がするけどな。やっぱり、仕事で自分の書いたものをいろいろチェックしたりされたりとかするうちに、批判的な目線が癖になってしまったからだろうか。少し世界を知って、いろんな面白い人たちの日記を読むうちに、自分も面白いと思われたいという欲が出てきてしまったからだろうか。感覚を取り戻せる日は来るのだろうか。

@kusundatofu
いろんなところではみ出しながら生きています。郷土玩具、ラジオ、無駄なものが好き。