3月26日(火)雨|昔の自分がよく見える=目が肥えた証拠、自分のために生きるてもそれが誰かの笑顔になる

昨夜遅くは激しい雨と風に見舞われた。こんな状況でも普段と変わらず寝られることにありがたみを覚えながら寝たのだった。

起きたらだいぶ歯の違和感はなくなっていた。やはり満月の影響が強かったのか。昼に無印で買っていたコザンブというココナッツと根菜のカレーを食べた。ベジタブルカレーだから、カレーなのにお皿がべたつかずにさっと洗えたのが新鮮だった。

職業訓練のユニットを進めていたら、今週分の学習時間の90%をクリアしていてにやける。今日はペルソナとカスタマージャーニーの勉強をした。3時間くらいずっと動画を見ながら勉強していからか、その後クリミナルマインドを見ようとしたが、一方的に情報が押し寄せてくる感じがきつくて、原神に切り替えた。進めていた任務で、メインの人物が「人々は夢に魅せられるけど、人間に大切なのは現実」「なんでこんな辛い目に、と思うかもしれないけど、そういうときは周りの人や物事に目を向けてみてほしい」といったようなことを説いていた。一時期助けられた関ジャニの曲にも「誰かのためじゃなくていい 自分のために生きても その姿きっと誰かの微笑みを作るから」というものがある。生きるのが辛くても、自分が生きていることで誰かのためになるならただ生きるしかない。

雨が続いているのでベランダ読書ができずもどかしい。読みたい本がたまっている。そもそもベランダに出なくても読めるような環境を部屋の中につくればいい話だが、なかなか気が向かない。

夜、「相談は踊る」のずっと気になっていたエピソードを聴いた。「文藝系の創作活動をしているが、去年の自分を越えられる気がしません」という相談だった。私も最近、去年作った日記本を読み返しながら、このときみたいな気概はいまはないかもしれない、つまらない人間になってしまったかもしれないと変な焦燥感に駆られていた。でも、「去年の自分が書いたもののほうがよく見えるんだったら自分の目が肥えた証拠」、「自分の書きたいものが書きたいように書けたらそれでよし」、「誰に向かって何書いてんだ」という愛のこもった喝を受けて、元気が出た。去年の自分の書いたものが眩しく見えるけど、それはこの一年で自分がいろいろな人と出会っていろいろな経験をして、いろいろな本を読んできたからだ。これから先も過去の自分に嫉妬することがあると思うけど、そのときは「目が肥えたからだな」と思うことにしよう。

ここのところ、何不自由なく暮らせているはずなのに、何か物足りない。ものすごく贅沢な悩みだとは思う。家にいるのに帰りたいと思ってしまう。やはりそろそろ環境を変えるときがきているようだ。

@kusundatofu
いろんなところではみ出しながら生きています。郷土玩具、ラジオ、無駄なものが好き。