3月9日(土)晴れ|暴力を受けた側に暴力をした方に歩み寄れと言うのは無理がある

昨日から始まったくら寿司のちいかわコラボに行きたくて、父親の快気祝いと私の合格祝いをしようと両親を唆すことに成功し、無事くら寿司に行くことができた。父親は久しぶりの回転寿司に、ずっと「楽しいなぁ!」と大はしゃぎしていた。お皿はビッくらポンシステムに吸い取られていったので何皿食べたのかは正確には分からないが、一人で20皿くらいいっているのではというほどのペースで食べていた。最後には担々麺まできめた。目当てのちいかわのビッくらポンは、一番ほしかったモモンガが巻き寿司になっているフィギュアが一発目に出た。最近の原神のガチャ運の悪さはこのためだったのかもしれない。

帰り道、またしても父親の自分勝手なところが露呈し、楽しかった気分が一気に萎んだ。「あなたは(自分に折れたから)柔軟、お母さんは頑固で譲らない」と、そういう問題の話ではないときに私が父親に理解を示したと都合良く解釈されて、腹のあたりがもぞもぞしている。

母親が私に「お父さんに優しくしてあげて」と言ってくるのが本当に嫌で、言われる度に嫌悪感を覚えるのだが、昔から父親が私に牙を向くとき、母親はだんまりを決め込んでいたのを思い出した。まだ中学生くらいだった頃、どんな話をしていたかは忘れたが、父親が母親に何かを言っていて、その内容に違和感を覚えたため口を挟むと、矛先が私に向き激昂して殴りかかってきそうになったので、慌ててトイレに逃げ込んだ。父親が「ちくしょうめ」という言葉とともに、トイレのドアを外からガンと殴った。そのときも母親は我関せずで、あとから「お父さんにあんなこと言ったらだめよ」と私が注意を受けたのだった。思えばこのときから構図は何も変わっていない。極端な例えだが、もし私が父親にDVを受けて、あとから父親がその行為を反省していると母親に言ったとする。でも、そこで私に「お父さんに優しくしてあげて」と言うのはおかしい。そうならないのは、母親が自分に降りかかってくるのを避けているからなのだと思う。父親には言えないから、そういうことが起きないように私の方に言ってくるのだ。そういうことが何十年もの間積もり重なっているから愛想も尽きたのに、母親はそんな私を冷たい、もっと優しくしてやれと言うのだ。そうできない私が悪いのかとずっと引っかかっていたが、どうやらそうではなさそうだ。長い時間がかかったが、ようやく理解できた。そして、私は母親に味方してほしかったのだな。私を咎めるよりも、父親に何か一言でもいいから言って守ってほしかった。

長く居過ぎたのだと思う。むしろよく持った方だ。早めに次の行き先を決めて、出て行こう。

@kusundatofu
いろんなところではみ出しながら生きています。郷土玩具、ラジオ、無駄なものが好き。