父親の手術の日当日。朝一で病院に向かった。ストレッチャーに乗った父親と対面し、声色がいつもより遥かに低いのもあって他人のように思えた。患者が手術室に入ることを「搬入」と言うらしく、人間相手に使うのかと聞き慣れない用途に少し戸惑った。
2~3時間で終わるはずだと聞いていた手術だったが、政治倫理審査会で同じフレーズばかり繰り返す人とそれを許さない人の攻防の一部始終を見、持参していた『暇と退屈の倫理学』を100ページばかし読み進め、途中『日々の泡』に切り替えつつ過ごしてもまだ終わらなかった。昼過ぎになって、ようやく看護師さんから「いまようやく安定しました。あと30分ほど様子を見て終了です」と声がかかった。待合室に差し込む日差しのおかげか、不思議となんとかなるだろうとずっと思っていた。
しばらく待った後、手術を終えた父親と対面、執刀医からの説明があった。説明される部屋に移動する際、看護師と母親が入り「ドアを閉めてください」との声がかかり、私が入る前にドアが閉められた。再び開けて入室したが、並んだ椅子の一番手前に母親が座っており、私のスペースはなかった。慌てて執刀医が母に移動するよう促す。その後の説明はあまり頭に入ってこなかった。ひたすら執刀医が「今回難しかったです。でもなんとか成功しました」と言っていた。ストレッチャーに乗った父親の頭が正面にあり、白髪と思っていた父親の髪の毛は一部黒いところがあった。説明中、母親はしきりに執刀医にペコペコしていた。途中執刀医がふとしたはずみでペンを落としたが、我先に立ち上がって拾おうとして静止されていた。説明終了後、恭しく立ち上がって礼を言っていた。手術後の検査に向かうとき、父親が「ずっと寝たきりは疲れるな。よく頑張った」とこぼしたが、母親は「何言ってるの。先生のほうが疲れてるでしょ」と返した。
検査を終え病室に戻り、看護師に世話をされている父親をただ眺めていた。なにかしてもらう度に父親は「すみません」と聞き慣れない声で言った。病室を出ようとする頃には、15時近くになっていた。「ご苦労さんでした。美味しいものでも食べて帰ってください」と父親が何もしていない我々を労った。
手術が終わるのを待っている間に、職業訓練校から電話が不在着信が入っていた。合否連絡は3月6日にメールで通達と聞いていたため、何事かと折り返したが、つながらなかった。病院の渡り廊下で携帯電話を耳に当てている様子が、ドラマみたいだと思った。
病院を後にして、食事をしに近くのロイヤルホストへ向かった。母親は人生で一度も来たことがないという。初めての母親にロイヤルホストの素晴らしさを知ってほしかったからなのか、メニュー表をいくら眺めてもこれというものが決まらなかった。私が食べたいものというよりは、母親に食べてもらいたいものという基準で見ていた。入店前はカレーが食べたいと思っていたのに、先日SNSで誰かがロイヤルホストのボークソテーが食べたいと書いていたのに引っ張られ、カレーに向き直るも前に食べたことがあるのを思い出しなんとなく違うものにしようかとメニューを何度もめくり、母親に「あんたメニューを全部覚えようとしよるとね」とからかわれた。でも結局、母親の選んだハンバーグにした。いまなにを選んだら一番自分が得をするか、なにが自分を満たしてくれるか、これを頼んで後悔しないかと考えが堂々巡りになり、結果シェアしがいのない同じメニューを頼むという失態。大人しくカレーにして母親にも分ければよかった。しかし、母親はお構いなしに美味しいと食べ、ドリンクバーで梅昆布茶を見つけたと言ってニコニコしながら飲んでいた。
私が思っているよりも世界はそこまで複雑に考えられていないのかもしれない。考えるなというのは難しいけど、考えた結果をただ眺めるということはできる。そこに意味を見出さず、ただ「ある」ものとして思考を受け入れるだけでいいのかもしれない。職業訓練校からの連絡が何だったか、そわそわした気持ちを抱えながら過ごす週末が始まる。