1月30日(火) 天気:曇り 失敗するだけ知識がつくからあとは這い上がるだけ

昨日の痛ましい知らせが遅効毒のようにいま体を蝕んでいる。どうして心優しい人が心を痛めて、自責の念に駆られていってしまうのか。相手に寄り添える人だからこそ、思考が止まらなくなってどうしようもなくなって、最後の選択に行き着いてしまうのか。

呪術廻戦の夏油傑は、もともと弱者に寄り添う人だった。でも、その守ろうとしていた対象が自分たちを貶めようとしていた事実に直面して、絶望し、それならいっそそういう人たちはすべていなくなればいい、自分たちのような者だけの理想郷を創り上げようという思考に至ったようだった。その気持ちも分からなくもないなと思った。世の中、自分が思っているほど心優しい人は少ない。たまたま私が知り合う人に恵まれているだけで、それが全てだと思ってはいけない。だからこそ、他の人たちも相手を思いやれるようになれるのではとつい理想を当てはめてしまいそうになるけど、そんな訳はない。現に、そういう心無い人たちによってある人の命が失われた。そんなの絶望したくもなる。いまの政治や情勢を見ていてももうどうしようもないという無力感を味わってしまうけど、昨年参加したイベントで冨永絵美さんから「でも希望だけは持ち続けて」と声をかけてもらったから、希望だけは捨てずにいたい。どうしようもない世の中だけど、それでも変わってほしいと実際に行動を起こして声を上げている友人もいる。そんな人たちもいるのに、ここでへしゃげてはいけない。失敗したって何度でも立ち向かえばいい。失敗する度に知識はついていくのだから、その次の戦略を練ればいい。ここでゲームの話をするのは違うかもしれないが、いまやっているBloodborneだって、何度も失敗してその度に学習して強敵を倒していくゲームだ。今日もガスコイン神父と聖職者の獣という大ボスを一度も失敗することなく連続で倒すことができた。奇跡に近い。それでも、そこに至るまでに何十回と失敗している。だめなときこそ、「じゃあどうする?」を考えたい。

@kusundatofu
いろんなところではみ出しながら生きています。郷土玩具、ラジオ、無駄なものが好き。