朝、下に行くと母親が友人とランチに出かけるらしく身支度をしていた。リビングのテーブルで朝食をとっていたら、母親がテーブルの上にネックレスを置いてこちらにどんどん近づけてくる。わけが分からず、「えっ、何」と聞くと、「付けて」と言う。最近察しないことを心がけていたから、ここでピンとこなかった自分を褒めたい気分になった。SNSでも最近「ここに美味しそうなケーキがあるね」と言われたときの反応の違いが物議を醸していたが、言葉を額面通り受け取れない環境はきついよな、と思う。実家はどちらかというと「美味しそうなケーキがあるね=食べたい」というコミュニケーションになっているから、いまは意識的にそこから外れる訓練をしている。ときどきそれが通じないことで明らかに不機嫌になられることもあるけど、気をすり減らすよりは全然いいし、むしろそれで直接言わんとしていることを言ってくれるならそれがいい。
部屋に戻り職業訓練のユニットを進める。議事録の取り方やタイピングの基礎を学び直せていて、序盤とはいえこれが学習時間に数えられるのかと思うとありがたい。こういう基礎は学校であまり教わることではないのに、社会に出るとそれができることを求められる理不尽さがある分野ではあるが、大学や高校卒業後に全員1~2年ほどこうして手当をもらいながら社会の基礎を学ぶ時間があってもいいのではないかと思った。そうすれば在学中は勉学に集中できて、卒業後の訓練期間に自分の行きたい方向をじっくり見定めることができて、さらに企業が新卒を育てる必要もなくなるから誰にとってもいいことしかない。あとは国が予算を割いてくれればいい。
一区切り付いたところで昼食。今日は、たまたま見かけたパスタをめんつゆで茹でてバターとチーズを入れて混ぜるやつを作ってみた。めちゃくちゃシンプルだけど、そりゃ美味しいよなという味だった。
午後、日課の日なたぼっこ読書。『死ぬまで生きる日記』を読み終わった。私も幼稚園か小学校低学年の頃から、漠然と「帰りたい」とずっと思っていた。そこがどこか具体的には分からないけど、宇宙の自分のいる星に帰りたいと思っていた。それが、あるとき死にたいに変わった。二度ほどの死にたいを経て今の私がいるが、最近死にたいと思わなくなっているのは、書くことで自分の星を創り出しているからかもしれないとこの本を読んで思った。どんなに周りに人がいたとしても、人間である以上は孤独から逃れられない。その孤独と向き合うゆるやかな希望になった。
ノンフィクションは事実という重みがすごくて、いったん『原稿零枚日記』をはさむ。なんとなくしっくりこなくて、大島真寿美の『三月』に変更。三月が一年で一番好きな季節だけあって、直球なタイトルに惹かれて数年前に買っていた本。未読と思っていたけど、ドッグイヤーがしてあって自分の記憶力を疑う。
夜ごはんはかんぱちのあら炊きを作った。レシピ通りだと明らかに醤油が足りなくて、後半は自分の経験や舌を信じて適当に処置をしたら意外とうまくできた。