昨日職業訓練校に問い合わせていたメールに、朝一で返信が届いていた。何度もこれで間違っていないか、失礼がないかと推敲した文章だったけど、文頭から「ありがとうございます!」と「!」がついていて、おまけにその後は顔文字まであったのでホッとする。公的な場面では足を踏み外しがちな私だが、そういう場所に堅苦しくない人がいるのが分かったからだと思う。直近の職場は、一時期上司が私のメールを逐一添削してきて、ものすごく息苦しかった。あるとき、「OKというのは失礼なので辞めましょう」と言われたが、その後、上司も含む取引先からのメールに「OKです!」と書いてあったときは痺れた。OKは、「大丈夫です」だと曖昧で、「構いません」だとなんかちょっと上から目線な気がするときに使えると思っている。昔、日曜天国で安住さんも同じようなことを言っていた。「大舞台」は読みが「だいぶたい」と「おおぶたい」の二通りあり、どちらを使うかで派閥が分かれるが、あるとき若いアナウンサーが「ビッグな舞台」と言い放ち、「黒船じゃー!」と大興奮したという話だったと思う。そんな感じで、切り抜ける手段として英語を交えるのはあり派。
日記をこうして毎日つけるようになって、都度Twitterで更新通知をしていたけど、なんとなく最近は控えていた。でも、昨日はなんとなく気が向いて久しぶりに投稿したら、みさこさんが日記を更新していて、そこに私の更新通知がきたことなどが書いてあった。うれしい。小さなことだけど、遠慮せずにお知らせしていこうと思う。
最近進めている原神のいくつかのストーリーは、どれも家族のことがテーマになっている。凧を子どもになぞらえて、「子どもが夢に向かって外の世界を歩みたがっているのなら、糸を引っ張り続けては、凧が落下してしまう」とか、「(自分の親としての役目は)好きなときに旅立つことができ、帰りたくなったらいつでも帰ってこられる(場所であること)」とか、違うストーリーを進めているのに同じようなことを言っている場面に出くわす。実家で暮らすようになって2か月以上が経つが、いまの両親のスタンスはこれに近いように感じる。昔だったら糸を強めに引っ張られて、近くを飛ぶことしか許されなかったけど、いまはこうして毎日ぬくぬくと過ごさせてもらっている。帰りたくなったときにいつでも帰れる場所があるというのは、ものすごくありがたいことだ。それだけで、これまでしてきた喧嘩の数々も意味があったなと思える。いままたそこから旅立つときがすぐそこまで来ているけど、そのときまではもう少し甘えさせてもらおうと思う。