先週美容院でカラーとカットをしてもらったが、カットはいい感じの切りっぱなしボブになったがカラーにムラがあった。やり直しも受け付けているとは書かれてあったが、せっかく塗ってもらった手前言い出しにくく、「これはこれでいいのかも…」と何度も自分を説得しようとしたがやはり気になったので美容院に電話したところ、あっさりやり直ししてくれるというのでいそいそと向かった。お店のドアを開けた瞬間、先週担当してくれた美容師さんと目が合い、「ごめんなさーい!」との声が飛んできて思わず笑ってしまった。カラーは均一に染まっていて、思い切って電話をかけて良かったと思った。
その後、近くのパン屋さんでたくさんパンを買い、イートインスペースで少し食べた。
夜は、数少ない大学時代の友人とごはん。以前「八方美人の何が悪いのか」と教えてくれた人。お店は友人が選んでくれたのだが、お通しでウニといくらが乗った巻き寿司が出てきて、度肝を抜かれた。頼んだものすべてが美味しかったのと、一緒に過ごした時間があまりにも楽しくて、人生のボーナスタイムのような時間だった。お店に来てから2時間くらいかと思ったら4時間経っていたのがそれを証明していた。
これまであまり話さなかった親のことを話し、そこから最近実家で暮らしていても親の言うことを「なんか言ってらぁ」と受け流せるようになったことなどを話すと、その環境でもいまこうして笑って生きているのは私に乗り越える力があったからだね、と友人は言った。そして、「なんでそうやって受け流せるようになったと思う?」と聞かれ、あまりうまく答えられなかった。でも、大きな要因としてはやはり親から離れて暮らしたことだと思う。私の家庭はハイコンテクスト気味で、察して動くことが良しとされ、察することができないと不機嫌になられる傾向にある。親と子供は同一視され、それゆえに考えていることすら言わなくても伝わっているでしょ、なんでわからないの、という感じ。それが、一人暮らしをすることで親の機嫌を伺ったり、やってほしいと思っていることを察して動く必要がない暮らしを体験でき、自分の声を優先して動く生活の心地よさを知ることができた。だから、家に戻ったときもこれまで通り察してもらおうとする親に「それで?どういうこと?」としっかり言葉にしてもらうよう言えるようになった。今は私の生活に親を合わせていっている最中かもしれない。だから、最近は親の接し方も前ほどウエットではなくなってきている。親の期待に答えるよりも私を守る方に意識が向かうから、親もこれまで通り接しようとしても空気を掴むような感じで手応えがないのか、あまり深追いしてくることはなくなった。もし仮になにか言っていたとしても、鳥の囀りくらいに感じている。親と自分を切り離すことができたのは、ここ数年で一番の功績かも。
いつか私が商業出版するとなったら、帯とか解説を書いてねと友人にお願いし、別れた。