#1 家族についての分析

kuwaharu
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記念すべき初投稿は、わたしが長年苦しんでいることを書く。わたしが人を見た時に、“怖い”と思ってしまう原因である、家族についての話をしよう。

【議題】わたしにとって家族はどのような存在だろうか

いつもの癖

いつものわたしなら「わからない」と曖昧に答え、議論を終了するだろう。だって考えたくないから。あの人たちについて考える時間が無駄だと感じる、というのは多分建前で、本音はわからないままにしておきたいのだと思う。わからないを分析し、理解してしまったら、自分の中で何が起きるのかが未知数なのだ。だからわからないふりをしてきた、考えることをやめてきた。60%くらい考えて適当な理由をつけ思考を停止させてきた。これを何度も繰り返しているから永遠に答えが出ないのだ。

でも、今日は答えを出す。なぜなら、来年からはわたしも社会人だから。ある程度自分の意志で物事を決めることができるようになる。家族との関係もそのうちのひとつ。大学生のうちに決めておいた方がいいと思うから、逃げずに考えてみようと思う。

過去の事実

わたしと家族との事実を、書ける範囲で並べてみる。

  • 4歳くらい。ディズニーのリゾートライン乗り場に登るエスカレーターに怖くて乗れずにいると、「置いていくから」と言われ両親に本当に置いて行かれた。異変に気づいた周囲の人に指摘されわたしのことを抱えてホテルに行ったが、終始不服そうな顔だったと記憶している。

  • 小学生くらい。お風呂から出る時や寝る時に「〇〇しないと出てはいけない・寝る部屋に入ってはいけない」というルールがあった。代表例は「九九を全て正しく言えるまで」

  • 小学生くらい。母親の機嫌を損ね、パジャマのまま冬の夜に玄関前で締め出しを食らう。「反省するまで入れてあげない」

  • 小学生くらい。祖父、怒鳴りながら電話線を千切る(原因不明)

小学4年生の時、SOSレターを送ろうとして見つかる。

ここから数年間は比較的落ち着いていた時期。

物理的被害はほぼ無し。精神的被害は引き続き受けていた。

  • 高校3年生。父親にイヤホンをして勉強をする旨を伝えて勉強開始。しばらくして突然胸ぐらを掴まれ持ち上げる手を離す押さえつける手をはらう。その後、「話しかけたのに無視したから」

悲しい記憶は、嬉しい記憶より記憶に残ると言われている。それを証明するように、わたしと家族の記憶は悲しいことだらけだ。記憶の断片には負の歴史ばかり刻まれている。幸せな記憶を上書きするほどの強い記憶なのだろう。

4人のおとなたち

我が家の4人のおとなたちの特徴を簡単にまとめる。

  • 母親

    高圧的で自分の思想を他者に押し付ける人

    常に演技しているみたいな、素がわからない

    お風呂からあがると大体機嫌が悪くなり、指示厨になる

  • 父親

    衝動的な暴力が多い

    考えていることを隠すのが上手い人

  • 祖母

    人の意見を取り入れず、自分のやりたいことを優先する人

    (家の外壁を勝手に塗り替える、家族にさえほぼ情報を共有しない)

    社会に出たことがない為、本当に自己中心的

  • 祖父

    家族の前だけで威張り散らす人

    時々倫理観と道徳観を失った行動をする

    離婚したら絶対生きていけない癖に、何もできない・しようとしない

4人のおとなたちの共通点は2つある。話を聞かない、相手を見ようとしないことだ。わたしはこんな人たちと18年間も強制的に関わらなくてはいけない環境にいた。「おとなの言うことは絶対」「自分の主張は無駄である」と刷り込みをするには十分な歳月だと感じる。

個々の人間性に抱えている問題が、周囲の人間に悪影響を与えている、不幸にしている。わたしはこの現象に強烈な不快感を感じていることに気付いた。

気付きからの分析

ため息が出る。こどもゆえにそのおかしさに気づけなかった。当たり前だと思っていた。狭い世界で生きていた。誰かに相談する方法を知らなかった。小中高の友だちとは何を話していたのだろう。覚えていない。でもやはりなんとなく、家庭の話をするのはダメなことだと思っていた。プライベートなことで、個人の問題で、関与してはいけないと思っていた。今ほど思考力が育っていなかったのもひとつの原因かもしれない。

原因

自分が伝えようとしなければ他者が知ることはできないと知ったのは、大学生になってから。友だちには、まっすぐな自分の気持ちを言えるようになった。でも、やっぱり、あの4人のおとなたちに意見を言うのは難しい。なんでだろうすごく勇気がいる。声が詰まるような、文字を打つ手が止まるような。別に傷なんてない、決定的なトラウマがあるわけでもない、ただただ、言いにくいだけだ。言おうとした時、無意識下で何かが喉を締める。

やっとわかった、前の文から数日間考え込んでいた。4人のおとなたちを前にして、わたしの言葉が出ない理由がわかった。

それは、

言ったところでわたしの意見は聞かれないという“諦め”と、

逆鱗に触れるかもしれないという“恐怖”と、

今後の生活への影響を気にする“不安”だ。

はぁ、だるいなぁ。

わたしが18年間で家族から得たものは、諦めと恐怖と不安ですか。     いらないなぁ、この縁は。

【結論】わたしにとって家族はどのような存在だろうか

わたしにとって家族とは、全てにおいて好意的解釈不可の血縁集団である。嘘でも好きと言えないほどに負の気持ちが湧き出てしまう存在である。

今後について

  • 家族と極力関わらない

    (必要な連絡、冠婚葬祭、家族間で行う宗教的行事は例外)

  • 家族に本心を言わない

    (相手も言わないからわたしも同じように)

  • 家族へあまりお金をかけない

    (残念ながら、それほどの価値はないと判断)

あとがき

4人のおとなたちに対して、諦め、恐怖、不安が刷り込まれたのか。笑えないね。家族という集団全てが嫌いなのではなく、わたしの家族を構成している4人のおとなたちが嫌いなのだということがわかった。もっと細かく言えば、他人を不幸にする人が嫌いだと、気付けてよかった。

【おまけ】

まぁでも、“ 無条件で一緒に暮らす人がいる ”って考えると許容できる。あのおとなたち、人間性に問題があっても社会的地位と経済力があるのは事実だし。わたしも恩恵にあやかってるわけだし。とはいえこれとそれは別の問題だってわかってるから、懐柔されないように、疑問を無かったことにしないように、意識していきたい。