「すべて知りたい」「観測したい」という欲が薄いのは「創作するにあたってすべて知っておきたい」あるいは「創作するのだから最低限なるべくすべて知っておくべきだ」という思いが薄いからなのかもしれない
自分が創作活動をする必要を感じていないことに起因している気がする(アイディアが降ってきて、形にしたいし見たいと思ったものはそうしたいと思っている)
知りたいはもちろん知りたいけれど、全部知りたいのかと言われると、全部じゃなくてもいいと思うところがある
知ってほしいことや伝えたいことはもちろん知りたいし聞かせてほしいと思うけれど、人間知られたくないことや言いたくないことだってあるだろうからそれを尊重したいし、こちらも全てを知ろうとは別に思わない
……という、相対する人に対してそう思うのと同じように聖司さんに対しても思うところがある
わたしは観測者よりも当事者でありたい