卑屈さ

kyoh86
·

僕は、今のところ特段の才覚を発揮していない人間だ。そして、未来においても何らかの才覚を発揮する「見込み」もない。

別段、僕が卑屈になってやさぐれているわけではなく、ただ事実としてそうだ。それについて何か思うところも、ない。

僕は僕自身がかつて理想に抱いたような、常識を弁えた生産的な人間ではなく、もっと享楽に重きを置いた退廃主義的な人間であるということに、いつだったか気づいてからは、わりあい平然とその事実を受け入れている。

当然、事実として迫り来る老い、健康の不安など、いつまでも続けられるものではなく、いずれ後悔を以て今の僕を恨めしく思うこともあるのやもしれないが、幸いにして僕はあるいは祖父譲りの頑健な体を持ち、今のところほどほどの享楽に身を投じて生きられている。

かつての僕──少なくとも、学生時代、学校の最寄りのイトーヨーカドーのフードコートで、好きな女の子に気の利いたこともいえず、彼女の恋人との間に割り入っては迷惑ばかりかけていた自分──は、世の人々がそうするように、早くに結婚し、理想的な家庭を築き、子供を育て、自己の遺伝子を世の中に残したいと考えていた。それは僕の根源のあり方を前提にすると酷くグロテスクで醜悪な欲求だと思うが、そういう風に思ってしまっていたのだから致し方ない。

しかし、いっぱしに友達を作ったり、恋人らしい関係をもったり、どうやら結婚を志向してみたり、と試行錯誤した果てにあったのは「自分の欲はそのような定型に納めるには歪すぎる」という事実だった。おそらくその欲を果たしうるには、少女マンガに登場する某のヒーローか、非道極まるシリアルキラーのように、どこか「人間」を逸した存在とならねばなし得ない。そしてそれは、定型的な人間としてそうありたい、という自分の欲求と矛盾してしまっていた。つまるところ単に「おまえの夢見た”普通”なんてものはまるでどこにもない」と突きつけられた。

幸いにして、そういう欲を果たすために他者を消費し、徒に自己を突き通せるほどには我が強くなかったため、どうやら僕は大きな災禍を多数の第三者に浴びせるような真似をしないで済んでいる。それは、僕と関わって災難だった、と誰かが言う可能性は否定しない、という程度、司法が僕を何か問題とはしない、という程度において、「些末」な人間で済んでいるという意味において。

しかし、そうして己の欲の形を自覚してみると、意外と気持ちは楽になってしまった。自己と狭い周辺の「被害者」を巻き込むだけで、自分の当座の欲は果たされうるのだ。やがてむなしさを覚えるかもしれないという畏れは少々あるものの、こうも享楽主義的な自分が果たしてむなしさなど覚えるのだろうか。あるとき、誰か僕の「被害者」が、僕の想定する「些末」とする尺度の壁を越えて、怨念を込めて何らかの刃を突き刺して、僕を路傍にうち捨てられた惨めな死体と変えてしまう可能性すら踏まえても、あるいは何か自分の行いが、例えば病となって返ってきて、まったく体の自由の利かない醜悪な肉塊と化す危険を考えても、それでいい、それがいい、と思える程度には、将来について何かを真剣に憂うことができていない。

これは卑屈さなんだろうか。僕は傲慢なんだろうか。いつしか、将来を憂いて泣いていた過去の自分が信じられなくなってしまった程度には、鈍化した頭をだらりと振り回しながら、よく分からない、と今日も僕は僕のあり方を先送りにしている。

@kyoh86
そばをたべたい