面白いものがある。感動したり、笑ったり、驚いたり、興奮したり、面白いと感じられる作品がある。
私はなぜ役者になりたいのだろうか。私はなぜ物語を書いているのだろうか。それが、その行動そのものが楽しいということはまず間違いない。それからスポットライト症候群の発作だとか、承認欲求の暴走だとか、それらがあるのもかなりでかい。しかしそれだけではない。と、最近思うようになっていた。
銀魂の作者である空知英秋氏は漫画家になった理由として、漫画が好きだけど最終回を迎えると置いて行かれた感じがして寂しいから置いていく側になった、のような旨のことを言っていた。その感覚が、私にもある。面白い作品をたくさん観てきた。関わっていたかったと思った。面白いものの仕掛けの一つになりたい。私もそちら側へ行きたい。
芸観大の入学式、正直なところ私はまだ迷っていた。私には東京へ行くという選択肢があった。未練はほとんど無かったけれど、こちらを選んだことが正しかったのかは半信半疑であった。同室の子はいい奴らだ。でもやっていけるだろうか。こんな辺鄙なところで、大学生になれるだろうか。就職はどうなる?将来につながるのか。そんな不安があった。きちんと座りつまらない話を聞く、何度も経験した普通の式を終え、ああ疲れた帰ろ帰ろと思った矢先、それは始まった。
入学式第二部
マジかまだ続くんか。それが率直な感想。しかしそれは、それから始まったものは、想像を絶するものだった。
正解だった。大正解だった。これだ。ここだ。これからこれに関われるのだ。思う存分仕掛けになれるのだ。本当に、心の底から、ここに来て良かった。
詰まるところえっっっっっぐ面白かったのである。それは。それから後日行われた新入生歓迎のための全体集会もそれはもう素晴らしく面白かった。楽しかった。長かったけどお尻が痛いことなんて言われるまで気が付かなかった。どうやら全校生徒の感想が私と同じではなかったようだけれど。でも私は興奮したんだ。めちゃくちゃに。最後のクレジットを食い入るように見つめて、この素敵な演技をする主人公というかラスボスというかあいつは誰だ。この物語の想像主は誰だ。私を興奮の渦に巻き込んだのは誰だ、と。
尾﨑元海
見つけた。この人の作品に関わること。それがこの大学内での目標になった。
好きになったらとことんなのだ私は。ストーカー並みに。だからその日のうちにインスタグラムやツイッターを探し回り、その努力というか執着の甲斐あって探し当てた。とにかくお礼を言いたかったし感動を伝えたかったし欲を言えば認知されたかった。同じ大学内なんだし、こんなに人数も少ないんだし、少しくらい強気に出たってなんとかなるだろう。何かを言いたくて、文面いろいろ考えて長いこと考えて悩んで迷ってインスタのDMに送った。ファンのつもりなのだから返事など期待していない。端っから。でも、返してくれた。だから調子に乗って初期の頃はめっちゃ気持ち悪かったと思う私。実際話してみたら可愛い子なはずなんだけど。
演劇をしたいと思っていたのは間違いない。でも数ある演劇系の団体・サークルの中でここを選んだのは、その決め手はメンバーにいたからという下心であることは認めなくてはいけない。
そんな彼が一本、作品を作るという。小説を舞台化するという。3年生、きっとこれが終わったら引退みたいなもんだろう。じゃあ今しかない。これしかない。とにかく関わりたい。ほんと雑用でもなんでも良いから。あわよくば出演したいけどほんと関わらせていただけるだけで光栄だから。
クソデカ敬意を払っている。心の底から尊敬している。その作品が好きでたまらない。そんな相手とここまで話せるようになるとは夢にも思わなかった。信頼も期待もきっと勝ち取れてはいないけれど、それでも私は精一杯やるし面白いを全力で作る。全力で届ける。
それが学生演劇:四畳半神話大系だ。面白いことは私が保証する。色眼鏡だろうか?いやまさか。これは面白い作品だ。
クソデカ敬意を払っている。これはそう簡単には無くならない。たった数時間で、私の不安だとか言葉に表せないモヤモヤを全て掻っ攫って行ってしまったのだ。未来のことなどどうでも良くなった。今こここの場所にいれたという安堵と、もし受かっていなかったらという無意味な恐怖に襲われた。
この作品に関われている。この幸福は何ものにも変えられない。
私は新歓委員だ。同じような興奮を届けたいと思って志願した。でも現実はそこまでキラキラじゃない。大変なことも多いし面倒くさいことも多いしできないことも多い。私はあの時の感動を、新入生に味わってもらえる気がしない。私にはできない。尊敬すればするほど離れていくし、現実が見える。
ああくそ、がんばらなくては。