自己愛はたくさんある。自己肯定感は高い。
しかしながら、受動肯定感はバカ低い。
受動肯定感とはなんたるや。何を隠そう、私が作った造語である。そりゃ分かんねえよな。調べたりしたんだけれど、ピンとくる表現が見つからなかったもんで作ってしまった。造語って自由で好き。
受動肯定感:他者に肯定されている自覚
詰まるところ、私は自分のことが大好きで、どんな欠点も自分なりに落とし込んで気に入っていて、これが私だと堂々と歩くことができる。ただ、それが他者からも同様に好かれている“わけがない”とまで思っているのがデフォである。ということ。
なぜか思えない。基本的に関わったことがない人は私を嫌っていると思っているし、よく関わる人でも社交辞令なんだろうと思っている。好きだと言ってくれる友人はどういうわけかいるが、え、なんで?と思っている。人は私の話に興味なんか無いだろうから自分の話をすることはほとんど無い。別にそれで問題ない。ネガティブなわけじゃないし、自分を卑下しているわけでもない。病んでる自分は解釈違いなので病んでるわけでもない。
単に謎。そして嬉しい。
そんなわけだから私はアホほどチョロくて、好かれたらすぐ好きになってしまう。いやなんかもう好かれたらとかいうレベルじゃない。話してくれたら優しいねえニコニコって思うし認知してくれてるだけでもうあったかい。すれ違いざまに手なんか振ってくれちゃったら、え好きってなる。例えあんまり好きじゃない子だったとしても。
ただこれで何か弊害とかも無い。受動肯定感超絶低い自分も大好きだし。こっちは勝手に人のこと好きになるんで弾かないでさえくれれば幸せだし。明らかな敵意をもらったら嫌いになるし。
ただちょっと、おんなじような人いないのかなーってずっと。探してはいる。未だ。