1人になりたがるくせに、寂しがるんだね。

あともう間も無く、詳しく言うと5/31までで「うるう」のYouTube無料公開が終わってしまう。円盤で買いたいとは思うのだが、なんせ家に円盤を再生する機械が無いものだから、どうにかデータで販売してくれないものだろうか。まあ難しいよなあ。

USB販売とかどうだろうか。複製ができないように何らかの細工を施したUSBを販売する。そしたらパソコンさえあれば外でだって見ることができるし、ちゃんと運営にお金を落とせるし、最高。

上記タイトルは劇中に出てくる言葉だ。チラシとかにも載っていたコピーな気がする。かなり良い。

つくづく、共同生活はもうできないと思う。我が家の惨状はもちろんだが、他者の生活物質に対して抵抗感があるからだ。自分が扱いきれない範囲のものは恐ろしい。

それに1人は気楽である。好きな時間に好きな歌を歌い、好きな時間に寝て好きなYouTubeを流しながら好きなものを作れる。家の中を把握し、自分が置いたところ以外に物は動きようがない。

寮で1年間過ごして、1人の時間がないと疲弊してしまうとかではないようだということが分かった。ずっと隣に人がいても、それが居心地のいい人ならばそれで良い。じゃあ逆に極端に今寂しいかと言われるとそうでもない。なかなかに充実していると思う。

それでも、タイトルの通りなのである。ヨイチほど深い意味は無いが、人といるとコミュニケーションを取る必要性に疲れてしまうし、1人でいるとちょっぴり寂しい瞬間が訪れる。

結局はない物ねだりだ。

最近文章をまとめるのが下手になっている気がする。困った。