20240802

kyri
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8月20日

 シネコヤで『アフターサン』観る。薄い層を何枚も何枚も重ねて、それが溶けていくのを見ているような映画だった。忘れてしまうことばかりだった。スクリーンのそこらじゅうに、濃い死の匂いが漂っている。私たちが死ななくても、私たちの関係が毎日死ぬこと。だから記録すること。記録には何も映っていないこと。とどめようと足掻いた事実だけが再生されること。帰ってきたら午後だった。おやつのような時間に、納豆キムチ炒飯を作って食べた。夕飯は冷麺。

大崎清夏『私運転日記』p.105.

人の日記が読みたいので大崎清夏『私運転日記』を読んだ。前にも書いたけど大崎清夏はエッセイ『目をあけてごらん、離陸するから』が素晴らしくって、先日の古本市の新刊書店のブースで詩集と一緒に購入。人の日記を読んでいて思うのは、単純な「今日はこうした、ここに行って、このひとと会って、こういう話をして、こんなものを食べた」という事実の記述にこそその人にしかない尊さがあるということ。私の日記はつい出来事よりもその日自分が思ったことを書きがちだけど、変わり映えしないだろうと自分が思っている日常でも、意識して日記に書けそうなことを見つけに行く、そして書き残していくことで私の日記も私の理想とする日記に近づけるのかも知れない。理想の日記が何なのかという話ではあるけど……。あと思うのは、大崎さん然り『かなわない』の植本一子さん然り、交友関係の広さと豊かさ。はーーーっとため息をつきたくなる。羨ましいと思う人間関係があるって、いいな。友達、と呼べる人ではなくても、そのときそのときで発生した行きずりのやりとりがとても愛おしい。私は本当にあらゆる人間関係を自然消滅させ、時には意図的に遮断、断絶させ、そうして今に至るまで残った友達はまじでこの両手で足りる。そんな人間は日記にも他者の存在を描写することができないでいる。孤独は決して悪いことではなく責められる謂れもないことだけど、それでも私って、さみしい人間なんだなと思うとちょっとさみしい。

 いつもやっている生活や仕事がいかに自分の得意分野に偏っているか、毎日ひしひしと痛いほどに感じる。私が日々関わる人たちは、何らかのかたちで芸術や文学や詩歌に興味がある人しかいなくて、でも社会にはもっとさまざまな分野があって、生活があって、仕事があるということ。

 文化芸術に関心がない(ようにみえる)人たちのことを、ほんのわずかでも見下したり馬鹿にしたりしているようなところが自分のなかにないか、車のルールを確認するみたいに、毎日点検するような感じがある。

大崎清夏『私運転日記』p.52.

私がさみしい人間なのは、多分、私以外の人をどこかで馬鹿にしているからだ。文化芸術に興味がないから、本を読まないから、仕事ばかりで休日が充実してないように見えるから、いろんな理由で私は人のことを馬鹿にする。この人よりも私の中に流れるものの方が何倍も豊かであるといつも、いつも、私は自分に言い聞かせたい。自分は存在していいのだと思っていたい。だけど私がどんな尺度をもってその人をジャッジしようとその人はそんなこととは関係ないところで今日も明日も生きていくし、だから私の勝手なジャッジには何の意味もないのだ。そして狭い世界でしか生きてこなかった私が持つ尺度というのもそれに比例するように狭いもので、そんなちんけな尺度で人を測ろうとする私こそが愚かな人間なのだ。文化芸術に興味がなくても、本を読まなくても、たとえ毎日が仕事ばかりだったとしても、そのほかのことがその人の人生を豊かにしてくれることはいくらでもありえる。

新しい上司の「俺は本は全く読まんから」という一言で「ああ」となってしまって確実に心のシャッターが一つ降りた。だけど本を読まないからなんだというのだ。私だって読むときと読まないときの落差は激しいだろ。いや、そういう話でもない。私にとって本を読むことが大事であったとして、上司にとってはそうではなかったとして、それだけの話なんである。私と上司は違う人間なのだから。

今、米津玄師を聴いているのだけど、ちょうど「KICK BACK」の「幸せになりたい 楽して生きてたい」が聞こえた。まさにそれだな、と思う。私は結局楽して生きていきたいだけだ。人を馬鹿にすることもその「楽して生きる」の中に含まれるのだろうきっと。だけど楽して生きてたいと願えば確かに楽して生きられるかも知れないけれど、その先には決して行けない。何事かを頑張って、そうして手に入れることのできる喜びや悲しみや怒りみたいなものは遠いまま。人を馬鹿にすることばかり上手くなって、私は私を自ら貶めている。直したい。直したいけれど、まじで、物心がついたときから人を馬鹿にする癖がついているので、今更どうやって他者を眼差せばいいのかわからない。こういうことを日記に書いてしまうところまで含めて私は本当に愚かな人間であることだよ。同時に、この日記上で自分のことを愚かだと判定するのはあまりにも容易い。実感はどうあれとりあえず言っとけばいいのだから。うーん、じゃあどうしたらいいんだろうな。より良い人間になりたい。同時に、自分という人間の善性の限界もまた感じる。人や物事を見下すのはその人の勝手であって、表に出すなという話でいいのだろうか。だとしたら今日のこの日記は最悪である。

@kyri
日々と二次創作の間で