20251122

kyri
·
公開:2025/11/22

昨日の飲み会から帰ってきたあとは気分が塞いで具合が悪いな……と思っていたのだけど、案外よく寝た。7時ごろに起きる。朝ごはんを食べて何となく朝ドラを見て、部屋に戻って昨日の日記を書いて、小説のchapter9に取り掛かる。先週はスパークに行ってて更新をおやすみしたから、今週はどうにか書かなきゃいけない。幸いにも三連休。何だかな〜これでいいのかな〜わかんないな〜と思いながらもとにかく何か書かなくちゃ。やらないと始まらない。やらないと終わらない。年が変わるまでにどうにか仕上げたいって思ってるんだから、やらなくちゃ。

blueskyを見ていて流れてきたマンガを何となく読んでみたらこれがめちゃくちゃ良くて、読み終えてすぐに表題作が載った単行本を電書で買った。

私が「フォロワー」という言葉が好きじゃないという話はもう何回もこの日記で書いているけれど、その思いを一層強くした。会いたいと、話したいと、仲良くなりたいと思うならそれはもう友達なのだ。会いたい人には会いに行かなくちゃ。とはいえ向こうも私に会いたいと思ってもらえなかったら会えないのでそこは難しいところではあると思うのだけど、でも、私の会いたい人は私にしかわからないというのもそうなのだ。私は昔からインターネットの知り合いには結構気軽に声をかけて会ってもらったりしてきたけれど、それは別に間違ったことではないのかも、と思った。インターネットだけでゆるくつながっているだけの関係もそれはそれで居心地が良くて好きだけど、でも、つながっているのがインターネット上だけだったとしても、画面の向こうにいるのは私と同じひとりの人間。インターネットでだけつながっていて、だけど、もっと仲良くなりたいなと、もしそう思えるのなら、動かなくちゃ。このマンガみたいに、人と人はある日突然会えなくなる。現実世界でつながっている人でさえ会えなくなるときは会えなくなるのだから、インターネットだけのつながりの人なんて切れるときはそれこそ一瞬だ。どちらかがそのSNSからいなくなってしまっただけで、いとも簡単に、つながりがあったことすらなかったことになってしまう。もっと話したかったな、仲良くなりたかったな、会いたかったな、と、もし後悔するかもしれないなら、それなら会いに行かなくちゃ。本名知らなくても、顔を知らなくても、友達にはなれるんだから。


午後からはちょっと山の方に行ってきた。紅葉はぎりぎり間に合ったみたいな感じ。とは言っても山の上の方とかはもう葉が落ちてしまっていたけど。

父が仕事で付き合いのある旅館が開催しているミニコンサートに行ってきたんでした。バイオリンとピアノのデュオコンサート。適度に暖房が効いていて、耳に心地の良いモーツァルトなんかを聴かされると、一瞬で夢の世界に誘われてしまう……なんとか持ち堪えて最後まで聴きました。私はバイオリンのことはよくわからないけれど、ピアニストの人が弾くピアノは当たり前だけど音色の粒が揃っていてすごいなと思ったのでした。

秋のコンサートということで、日本の古い唱歌も演奏されたのだけど、演目の中に「紅葉」があって(あ〜きのゆ〜う〜ひ〜に〜♪のやつ)それを久しぶりに聴いていたら、なんかこのフレーズどっかで聴いたことあるような……と思い、閃いたのが、讃美歌の『主よ、御許に近づかん(Nearer, my God, to Thee)』だった。私が映画『タイタニック』を人生で一番愛しているということもこの日記で何回も書いているけれど、その『タイタニック』で沈みゆく船の上で楽団の人たちが最後に演奏したのがこの曲だ。まさか日本の古い秋の歌とクラシックの讃美歌がつながることがあるなんて思わなかった。だけど考えてみたら、唱歌というのはもともとは西洋の国の民謡に日本語の歌詞を当てたところからスタートしていて、そこから西洋の音楽を勉強した日本人が独自の歌を作って広まっていったのだから、日本の古い唱歌とクラシック音楽がつながることだって然もありなんなのだろう。思わぬところで音楽と音楽のつながりを感じた日になった。コンサートが終わる頃には外はすっかり暗くなっていて、すごく寒かった。さすが山だ。

@kyri
週末日記