今日、ふと、また公募の新人賞に応募してみようかな、という気持ちがふわりと湧いた。なぜかはわからない。気まぐれのように、あるいは天啓のように、そのやわらかな閃きは降ってきた。この閃きのとおり、私がこれから題材を見つけて小説を書いて年度末に応募できるかどうかはわからない。何と言っても書くのはとても大変だからだ。だけど今まで全然向かなかった気持ちがふと、かつてあった方向へと向き始めたのを感じて、私は、また頑張るのかも知れないなと思った。何度も書くが本当に書くかどうかはまだわからない、わからないけれど、そんな気がした。それから各文芸誌の新人賞の枚数と締切と審査員の顔ぶれを調べて、以前応募したことのあるところがいいか、それとも全く馴染みのないところにしようか、なんて、思いを巡らせていた。巡らせるだけなら何の手間もかからないので、とっても気が楽だし、それだけなら、とってもわくわくする。
20代だった頃に、新人賞には2回応募したことがある。結果はどっちも一次選考には残ったけれど、二次選考には進めなかった。けれど一次選考に残ったら、文芸誌に自分の名前が載る。だから私は自分のかつての筆名が載った文芸誌を2冊持っている。この確かな証拠は私の自尊心を強く守ってくれた。この2冊があってくれたから、私は生きてこれたところもあるのだと思う。たかが一次選考くらいで、と思うかも知れないし、それはごもっともなのだけど、だけど千を超える応募作の中からほんの百人くらいの中に残れたということが20代の私を生かしてくれた。少なくとも、本当に望みがないわけではないということに救われた。20代の頃、今よりずっと作家になりたかったから、これからも書き続けようって決意を新たにしたりした。でも、私は根性がなかったから、その気持ちはそんなに長く続かなかったのだけど。
30代になって作家になりたい気持ちはだいぶ落ち着いて、別に、作家になれなかったとしても私は私に対して納得できるだろうな、という気持ちを手に入れた。だからそんな今の私がもう一回新人賞に応募しようかな、なんて思うのは私のあるいは選考者の時間の無駄なのかも知れない。実際、今からまた書き始めて20代の頃みたいに一次選考を通れるとは思えない。というのも、31歳くらいのときに応募しようって奮起して一作書き上げたのだけど、結局全然面白いと思えなくて、応募を見送ったことがあるからだ。だからこれから書くものも面白いものが書けそうなんて全然思えない。だけど、結局のところやっぱり、書くのは楽しいなって思ってて、書くことが、少なからず、この人生に深く根を下ろしている。
新人賞に初めて応募したとき、賞が欲しいというよりも何よりも、自分のことを一切知らない人が私の小説を読んで評価してくれるんだということに何より喜びを感じていた。今もその気持ちのことを覚えている。だからもしも今から書き始めて応募にこぎつけたとしたら、その、おんなじ気持ちがまた去来するのだろうなという気がしている。私は普段、私の人間性を大なり小なり知っている人に自分の作品だったりこの日記だったりを読んでもらっているけれど(この日記なんかは私の人間性そのものだ)、その、悪くいうならバイアスが全くない場所にいる人に自分の小説を読んでもらうには賞に応募するのが多分いちばん手っ取り早い。
なんでいきなりこんな閃きがやってきたのかなと思えば、多分各賞がweb応募を始めたこともすごく大きいと思う。なんと言っても印刷して紐で綴じて封筒に入れて宛名を書いて郵便局まで持ってかなくちゃならないこの全ての過程が嫌すぎていたので……この手間がなくなったのだと思うとなんだか自分の中でぐっとハードルが下がったのを感じた。そのくらいのことはやれよと思われそうだけど私はとてもとても横着なので手間なんて一つでも無くなってくれた方がいいに決まってる。
とりあえず、今まで二次創作に夢中になっててしばらく記憶から追いやっていたけれど、書きたいと思っていた物語がないわけではないので、それを出力してみたいなと思う。とは言いつつ、まだ二次創作をやりたい気持ちもあるんだけど……むずかしい。閃きがやってきたからといって本当に書くかどうかは、何度も書くけど、まじでわからない! 書くかどうかっていうか、完成させられるかどうかってこと。私は書くことはともかくとして推敲が出来なさすぎる人間なので、永遠に完成しないかも知れないし……。
でもまあ、今日こんなことを思ったってことだけ書き残しておこうと思う。結局何もしなかったとしてもそれはそれでくらいに構えていたい。30代にもなると自分を甘やかす癖がついているので……でもいきなり夏目漱石が出てくるけど「精神的に向上心のない者は馬鹿だ」なんですよね。なけなしの向上心振り絞って、やれるだけ、やってみたいかも知れないな。