今日は『悪は存在しない』を観に行ってきた。のだけど、これが全然わかんなかった。濱口監督の作品は『寝ても覚めても』『ドライブ・マイ・カー』と続いてこれが3作目の観賞だったけど今までの濱口作品の中でいちばんわからなかった。悪は存在……しないのか……? グランピング計画に反対する側にも押し進めようとする側にもそれぞれ事情があって正義があって、でもそんな簡単な話でこのタイトルをつけたわけでもないだろう。正直なところ娘を迎えにいくのを忘れる行為は悪じゃないのか? と思ってしまった。絶対そういうことじゃないよなあとは思いつつ。あまりにわからなかったのでパンフレットを買ったのだけどキャストインタビューと対談しか掲載されてなくてますます消化不良になってしまった。私は有識者のコラムが読みたかったのに……。誰かこの映画の楽しみ方を指南してほしい。この映画を気に入った人、どこがよかったのか、どんな読み方をしたのか、何を見出したのか、まじで教えてほしい! 楽しみたいよ〜! でも全編にわたって長回しショットが多くてそこはすごいなと思ったのでした。それくらいしかない……無念すぎる……
昨日の『関心領域』の感想を読み返したのだけど当たり障りのないことしか書いてなくてまじでつまらない。つまらなかったので改めて考えてみたのだけど、例えば私は「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いに答えられる最適解を未だに持たないと思っていて、何をどう言葉にすれば自分が納得するのかがわかっていない。なぜ人を殺してはいけないのかという問いに「悲しむ人がいるからだ」というアンサーを出したのはCLAMPの『X』だったけれど、私はこのアンサーでも弱いと感じていて、じゃあ何なのか、例えば「自分がされて嫌なことは他人にもやるな」という理屈でも殺人の禁止を縛れるだけの力はないと感じている。結局頼りになるのは個々人が生来持つ倫理の力、想像力、共感力、それだけなのかもしれないと思うとそれは私にとってはすごくすごく心もとない。それだけの武器しか持たずに「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いに立ち向かうのはとても骨が折れる。手札が少ない。そんな心もとなさを抱えたままに、アウシュヴィッツ収容所のルドルフ・ヘス所長を本当に断罪できるのか。私は彼とは違うのだと、私は彼のように道を誤ったりはしないのだと、本当にそう言えるのか。ヘス所長もまた生来の倫理の力、想像力、共感力、それくらいしか持たなかったから、そしてそれもまた脆いものだったから、人間を「荷」と呼んで憚らない冷酷に屈服してしまったのではないか。だとしたら私だって同じなんである。私の持つ倫理の力も想像力も共感力も私が思っているほど絶対強くはなくて、目の前で行われる殺人に対していずれ沈黙し、関心を失い、騒音も騒音とわからなくなる日はいずれやってくるような気がしてならない。だから「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いを一刀両断できるオールラウンダーな最適解が心からほしい。この答えがあるからそうなのだと、それをよすがにしたいのだ。だけどそういう単純明快な最適解を求めてしまうのもある種の思考停止に他ならないのかもしれないと思うと私はもはや袋小路だ。何をもって自分とヘス所長の違いを証明できるのか、私はヘス所長にはならないと本当に言い切れるのか、私は人間のことを「荷」と呼んだりしないと本当に言い切れるのか、私には本当にわからないんである。そういう、自己の領域を解体されていくような感覚が今に至るまでずっと続いていて、それはこの映画がもたらした深い感覚で、そのことでもってこの映画を評価している。twitterをなんとなく眺めていたらこの『関心領域』の感想で「アウシュヴィッツの惨状が背景にしかなっていなかったのが気になった」というものが目に入ったのだけど、「背景」でしかないところにこの映画がやらんとしたことがあるんじゃないだろうか。どんなに悲惨な虐殺だろうと「背景」にしようと思えばできてしまうのだ。今だってウクライナ戦争にガザ虐殺、これは私の関心ごとではあるけれど、でもそれは私の生活全てが懸かった関心ごとなのかと言われると絶対そうではなく、限りなく、限りなく「背景」に近いことを白状しなくてはならない。悲惨はもはや悲惨というだけでは何の強みもないのだ。それこそを私は恐ろしいと思う。
『関心領域』の中でいちばん好きだったのは、怒鳴り声や悲鳴や犬の鳴き声や焼却炉の轟音一身に受ける中で眉ひとつ動かさない無表情で虚空を見つめているヘス所長の横顔が大きく映ったシーンだ。彼にはもう何も聞こえていない。今まさに目の前で行われている殺人という行為が何を意味するものであるのかもはや考えない。人を殺すということが何をもたらすものであるのか何も興味がない。興味がないのだ。あの、心底どうでも良さそうな横顔を私は忘れないだろうと思う。
こんなことを真面目につらつら書いたけれども今の私の最大の関心ごとは印刷所にちゃんとお金を払って入稿を済ませなくてはならないということだ。この映画も私の背景でしかない。私とヘス所長の違いは何なのかと今このとき考え込んだとして明日にはまた仕事に行く。私の世界は映画ひとつで変わらない。