20251123

kyri
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公開:2025/11/23

今日も小説を書くのだ、と決めて、朝から図書館へ行く。お昼過ぎまでぱちぱち書いて、どうにか今週の更新を守った。

早いものでもう9話めなのか。一応、第一部はあと2回で終わり、そして第二部は全2回か3回の予定で、2025年じゅうの完結を目指している。とはいえその予定通りに行くかどうかはまだ書いてみないとわからないので予定は未定なんですが。でもそれが一番綺麗な形だからさ〜、できれば目指したい。そして年が明けてからちゃんと推敲して修正して本にするというスケジュールがいいな。

先週の東京旅行でお友達と香港オムライスを食べながら、「書くと決めてから実際に書くまでが早いですよね」と言われたことを思い出した。私は多分、創作に関しては常に急いでいる。というのも、なるべく巻きで、前倒しで書いていこうと思っているのもそうだし、あとは、あんまり発想を寝かせすぎたり書くのに時間をかけすぎたりすると、飽きてしまうのだと思う。この、飽きるスピードが多分早いのだ。飽きに追い付かれないように、正気に戻らないように、とにかく振り返らずに、まずは書いてしまおうと思っているのだと思う。考え込むのは一旦全部終わってからでいい。はたと立ち止まってしまったら、多分もう書けないのだ。とはいえ二次創作で連載をやっていたときはしんどい物語だったのもあって、そんな大した字数ではなかったのに結構時間をかけてしまったけど。だから、私としてはじっくり腰を据えて、時間をかけて書ける人のことこそを尊敬するけれど、それもないものねだりなんだろうな……

今書いてる小説を書き始めたときは、この物語がこれからのライフワークになってくれたらいいなと思っていた。今書いてる小説はいつか完結するにしても、このキャラクター、この設定で、しばらく書き続けることができればそれが一番いいなと思っていた。だけど、ここまで書いてみて、多分そうはならないだろうなということを感じている。この物語はこの物語で、多分私の中では終わるだろう。あと、この物語がものすごい自信作になったらいいな、とも思っていた。けれどこれも、そうはならないと思う。私は10年前と比べて、良くも悪くも、あんまり悩まなくなった。どんどん物語作りに時間をかけられなくなっているのを感じているし、一つの物語に耽溺することがそもそも減った。物語に溺れるように小説を書いていた10年前は、多分、作り手としては最高の状態だったのだろうけれど、そこからは抜け出してしまった。抜け出したというか、終わってしまったというか。私は多分、これから小説を書き続けたとしても、どこかでずっと、消化試合みたいな感じで書いていくしかないのだろうと思う。どんな物語を作ったとしても、結局、きっと消化試合になる。昔ほどの熱量も込められず、ただ上滑りするだけの、希釈された物語しか書けなくなるだろうと、うっすらと。だけど、そんな物語しか今後はきっと書けないから、だからもう辞めるんです、と言うのはちょっと違う話で、それでも、「やめない」ということ。踏みとどまること。そうできれば多分、いいのかな。でも希釈された物語しか書けなくなったなら今後に希望はないからもうやめるというのも、間違ってない。以前の日記にも書いたけど、結局、その時々で、自分がどうしたいか、なんだろうなあ。

あと、昔は結構露悪的なことを書くのが好きだったんだけど、歳をとるとともにそれも書くのがしんどくなっている。小説の中でくらい穏やかで優しい世界にいたい。誰にも悩んでほしくない。でも、それもきっと違うんだろうなあ。それも希釈された物語しか書けなくなっていることとつながっている。人間の感情がどんどん遠ざかっていく。


小説のノルマを達成したあとは、お昼ごはんにパスタを食べて、唐突にチーズケーキが食べたくなったので久しぶりにモロゾフのカフェに行ってチーズケーキを食べた。

それから図書館に戻って、小川哲『言語化するための小説思考』を読んだ。いわゆる小説の書き方の指南書ではないのだろうけど、私がいかに何も考えずに、なんとなくのフィーリングで、自分のためとも他者のためとも判別をつけられないままただ文章を書き連ねているかが身に迫ってきて頭を抱えたくなった。けど、上記の話とも繋がるけど、とにかく立ち止まらずにまずは書いてしまおうという私の姿勢は、それはそれで評価されてもいいはずだ。書かずにいるより一億倍マシなんだと自分を鼓舞して、とりあえずは今書いている小説を最後まで書こうと思う。考え込むのはそのあとで。


水曜日に仕事が変わる内示を受けてから、常にうっすらと不安で、常にうっすらと死にたい気持ちがある。「もうだめだ死ぬしかない」って気持ちとはだいぶ訣別できたと思っていたけれど、それは平和な日々を過ごしていたからってだけで、完全に消えた訳ではなかったみたい。仕事が変わったくらいで死ぬ必要はないんだって、頭ではそう言い聞かせるけれどやっぱり不安で、これからの日々が(がらりとまでは行かないまでも)変わってしまうことが怖くて、結局そういうところ、大阪で仕事してたときと何にも変わってないなあと思うのだった。

@kyri
週末日記