個人的な実感を書こうとすれば、どうしても偏りが生まれる。中途半端なところとも向き合って、言葉にせざるを得なくなる。そのことに罪悪感があった。クィアたちが悪意や無意識の偏見に傷つき、疲れているのをたくさん見てきたから、自分の偏りがそれを繰り返すのではないかと思うと恐ろしくなった。
だけど執筆を進める中で、その恐れの正体が何であるかに気づいた。私が恐れていたのは、傷つけることよりも、傷つけることで自分が傷つくことだった。
そう自覚した時、「個人的であるしかないのだ」と思った。どんなに手を尽くしても、自分は誰かにとっての他者でしかない。混ざり合うように感じても、あなたはあなたでしかなく、私は私でしかない。だとしたら、なるべく力を抜いて、無防備でいようと思った。
ここは私的なことを語る場所。自分についてしか話せないし、誰かを代弁することはできない。力を抜くほど、無防備になるほど、「これは目の前で/私の中に起こったことだな」とただ思えるようになった。そうやって書くのは、重すぎも軽すぎもしないもの、たとえば実の詰まったオレンジを手に持っている時と似た心地よさがあった。悲しみや怒りについて書いている時でさえそうだった。その心地よさを頼りにしながら、背負い切れるはずのない大きなものを諦め、勝手なことでもそれが感じたことなら書いた。
小沼理『共感と距離感の練習』 p.203-204.
私のこの日記もそもそも個人的なことでしかあり得ないのだけど、私も日記を書くときは「あくまで私の日々はこうで、私はこう思った」という気持ちで書いているように思う。私がこんな日々を送っていて、こんなことを感じているからといって同じように感じるべきだなんてことは思わない。もしも私と考えが合わなくて、それで傷ついている人がいたとするなら(いないような気もするけど)私はあなたじゃないし、あなたは私じゃないと言うだろう。それは私の方がむしろ人と考えが合わないときに傷ついてしまいがちな人間だから、自分を慰める? というか、自分の輪郭を取り戻すためにいつもそう言い聞かせている。私は誰かを代弁できるほど主体性に溢れた人間でもないし、興味の範囲が狭いのでそもそも自分のことで手一杯だし、だから、大丈夫ですよ! なんて、誰に向けているのかも何が大丈夫なのかもわからないけど、でもそんなことを思っている。もちろん個人的なものが全くの無害なのかといえばそういうことでもないだろうけど、だけど私の日記もまた、個人的な場所。私が感じた以上のことは書き残せない。私は私以外にはなれない。
松田青子がインスタで紹介していた有吉佐和子の『女二人のニューギニア』を図書館で読んだ。有吉佐和子の文章に触れるのは初めてだったけど松田青子が絶賛していた通りすごく面白かった。女二人でニューギニアの奥地でサバイブするその毎日は過酷で、怒涛で、でも読んでいてすごく元気をもらった。有吉佐和子と畑中幸子の二人ともが生命力に満ち満ちていてそう簡単には死ぬものかという気概しかなくて、なんだかとても心強かったのだった。
だけど作中で「20年、30年後もこうしてニューギニアに来れたいいね」みたいに話しているくだりがあって、有吉佐和子が「その頃には私たちもう還暦よ」と答えていたのだけど、読み終えてからwikipediaで有吉佐和子のことを調べると53歳で亡くなっていて、そうか、還暦を迎えることができなかったのか、と思うと少し胸が痛くなった。こんなに力強い文章を書く人でも死ぬときは死ぬんだった。