20240313

kyri
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祖母が退院した。今日は両親が仕事を休んで祖母を病院に迎えに行き、そして一人仕事に行った私は会社でずっと悶々と心配していた。先日の日記で書いた通り、私は祖母の退院を楽しみだとは思えなかったし、いざ退院するのだと聞かされてもやっぱり嬉しくはなかった。帰ってきたはいいけれど、結局私たち家族は家を空けてしまう。ヘルパーさんをお願いするのかもしれないけれど、それだって毎日お願いするというのはあまり現実味がないように思う。もし祖母が家に一人のときに、また転んでしまったとしたら? 極端な話、家に帰ってみて祖母が一人で死んでたとしたらどうしよう、とまで、私は思い詰めていた。祖母とは5ヶ月ぶりの再会だった。5ヶ月、という時間を思えば、長かったような短かったような。祖母にとってはどうだっただろう。だけど、やっぱり、正直、病院に居てくれてよかったと思った。だって、もしこの5ヶ月を家にいたとしたら、あの元日、能登半島地震のとき一緒に地震に遭って、津波警報が鳴り響くなか一緒に避難しなければならなかったのだから。膝が悪く、もう、ごくゆっくりとしか歩けない祖母を連れての避難はずっと大変だっただろう。だから、正直な話、あのとき病院に居てくれてよかった。

けれどちょっと覚悟を決めて帰宅して、祖母に「おかえり」と挨拶に行くと、祖母は思っていたより痩せてもいなくて、ちょっと髪は伸びていたけれど、私が知っている姿のままで、「心配かけたわね、ごめんね」と笑った。その笑顔を見たら、一瞬、不安が飛んだ。何もかも私が過剰すぎるのかもしれないと思った。もしかしたら祖母は、これからも大丈夫なのかもしれないと思った。これからヘルパーさんを呼んで、暮らして、私たち家族はこれまで通り生活して、それで、なんとかなるんじゃないかと思えた。なってくれたらいいと思う。間違っても祖母を一人で苦しませるわけにはいかないと思う。私はその解決策を、たとえば祖母をもう施設に移してしまうという選択肢で考えてしまっていたけれど、でも、やっぱりそれも、現実的ではないのだ。やっていくしかない。私にできることはまじの微々たるものだけど、それでも、やっていくしかないんだろう。

会社で日付印の日付を今日に合わせていると、そうか、今日は弟の誕生日か、と思った。けれどその5秒後くらいに、弟の誕生日は先月の今日だったということに思い至る。先月の今日、私は弟の誕生日を確かに思い出したと思う。けれど多分、そのことを、また思い出さないようにして記憶の奥に仕舞った。私と弟は絶縁している。7年くらい前にトラブルがあって、何があったかはここには書かない。詫びのしるしだったのか、私の誕生日になるとスタバのeギフトカードが送られたりしてきた。だけど私はそれも使い切ることなく期限を切らしてしまった。4年前、年末の帰省で再会したけれど、私は弟と再会するのだと思うと具合が悪くなり、帰省の数日前から何も食べられなくなり、帰省してからも熱を出して寝込んだ。そして、再会した弟とはついに目を合わせられなかった。目を合わせないまま数日を過ごして、彼は帰っていった。「姉さん、またね」と私に言ったその声をまだ思い出せる。私は答えなかった。

いま、彼がどこに住んでいるのか、仕事はまだ同じところで続けているのか、元気でいるのか、何もわからない。元日に地震があっても、両親は連絡を取ろうとしたようだけど、私はついに連絡しなかった。連絡しようという気にもなれなかった。だけどそうして今まで思い出すこともなかったのに、今日、ふと、彼の気配を感じたのだった。私と弟はかつてとても仲が良かった。歳もひとつしか違わないで、弟というよりは、気が合う友人という感じだった。けれどどれだけ仲が良かったとしてもトラブルは起きる。私は、起こったそのトラブルに対して何もできなかったし、私の方には何の解決策の持ち合わせがなかった。あのときどうすれば良かったのか、いまだにわからない。わからないまま忘れてしまった。弟とは4年前の再会のあと、静かにLINEをブロックした。もう彼とは顔を合わせられない、合わせることは私にはもう耐えられないのだとわかったから。それから一度もブロックを解除していない。もしかすると彼はまた私の誕生日にメッセージを送っていたかもしれない。スタバのeギフトを買ってくれていたかもしれない。だけどいつまで経っても既読がつかないことにもしかしたら、悲しんでいたかもしれない。そして弟はあの再会を最後に、家に帰ってこなくなった。

会いたいとはもう思わない。だけど、ただ、戻りたいと思う。トラブルが起こる前の、誰もに驚かれるほど仲が良かったあのときに、戻りたいとなら思う。だけどそれはもう永遠に叶わない。次に再会するときがあるとするならそれは祖母が死んだときだろうと思う。なんか、書いてて涙が出てきたな。

@kyri
日々と二次創作の間で