20260208

kyri
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公開:2026/2/8

朝起きてみたらまた夜の間に大雪が降ったらしく、家も車も埋まっていた。その上気温は氷点下、つくづく期日前投票をしておいて良かったと思う。でも、こんな雪はいつも通りうちだけかと思っていたら東京や大阪の方でも降ったみたいですね。こっちの大雪はいつものことだけど、東京や大阪は雪に慣れてないから大変だっただろうな。この雪の中投票に向かった人には頭が下がる。もっとも、こんな雪の季節に選挙をする方がどうかしているのでここは怒るべきところなんですが。この季節に選挙に踏み切った暴挙をしばらく忘れない。

大雪だし、寒いし、Polarisの修正でもしようかな、それか新しい短編を書くか……と思ってmacを開いてみたはいいものの、どうしても気もそぞろで何かを書く気になれなくて、諦めてmacは閉じる。こんな時こそ、碇雪恵『そいつはほんとに敵なのか』を読むことにする。

読み終わって、こんな本が読みたかったんだよな、としみじみ思った。私はもともと喧嘩も対話も苦手だけれど、こうして異なる背景や思想を持った人に実際に会いに行く人がいるということ、会って話して、いい時間だったなと感じている人がいるということ、励まされる思いだった。対話はだいじと、口では何とでも言えるけど当然ながら私もできていないし、でもその中にあって、それをちゃんと実践できる人というのは本当に尊敬する。とても勇気のいることだろうと思う。

碇さんが参政党支持者の人に会いに行って話をする章が特に良かった。自分と違う支持政党を持つ人は悪魔かゾンビに見えてしまうけれど当たり前だけどそんなことはなくて、生きてきた背景が違うだけの同じ人間であって、全く話が通じないのかといえばやっぱりそうでもなくて共通点というのは絶対にどこかにあって、楽しく時間を過ごすことも可能なのだ。印象的だったのは、参政党支持者の人が「自分は参政党の農業関連の政策に賛同しているのであって、排外的な政策は実現させる過程で必ず衝突が起こるはずで、実際にはうまくいかないと思っている」と語っていたこと。これは私にも似たようなところはある。私は正直なところを言えばエネルギー政策については左派の政党の公約を支持できなくて、だけどもし左派がたとえば政権を取ったとしても、エネルギー政策についてはきっとそう簡単には変わらないだろう、だからこそ(?)安心して左派に票を投じることができている側面がある。だけど、誰しもにそういうところはあるはずで、たとえ参政党支持者だからといって参政党の政策の全てに賛同しているのかと言えば絶対にそんなことはないはずなのだ(そんな人もいるかもしれなくて、ちょっとわからないけど……)実際この本の参政党支持者の人も選択的夫婦別姓には賛成していたし。こうやって政治の話を対面の個人レベルにまで落とし込むと、案外対話できる余地というのは残されているものなのだと感じた。また、この参政党支持者の人は自己開示が大事だとも語っていて、というのは、日頃からたとえば自分の支持政党を開示しておけば、面と向かって「そこを支持してるの?! バカじゃない?!」と言ってくるような人はいなくなるからだと。確かにそれは単なる悪意のある攻撃だ。だけど、読めば読むほど、SNSで繰り広げられている政治の議論は、というか、SNSに議論が向いていなさすぎて、この本の帯にある「SNSを捨て、喧嘩を始めよう」というコピーには、確かにそうだと思うのだった。私の親戚にも参政党の支持者はいるし、それを思うと暗澹たる気持ちにもなるのだけど、でもだからと言って、その人のことを丸ごと嫌いになれるのかといえばそんなはずもなく、SNSはそのグラデーションを全部切り捨ててしまうのだろう。「そいつはほんとに敵なのか」そもそも敵はいるのか。誰のことも敵にしないという気持ちだって必要じゃないのか。

 れおさんのお手紙には「リベラルと呼ばれる立場に近い」と書いたけれど、わたしはリベラルの意味をちゃんと理解しているんだっけ。戦争に反対し、選択的夫婦別姓や同性婚に賛成して、立憲民主党や共産党に投票していたら、それがリベラルなんだっけ。保守とかリベラルとかも雰囲気で使っていたけれど、それで合ってるんだっけ。

 そういうことを掘り下げると、わたしも単に「乗っかってる」状態に過ぎないなと思う。SNSの盛り上がりに「乗っかって」、参政党やその支持者に嫌悪感を持った。政党について自発的に調べて判断したというよりも、SNSで次々流れてくる参政党批判の投稿によって嫌悪感を内面化していった。

 それでいいんだっけ。参政党に乗っかるのも、参政党批判に乗っかるのも、乗っかるという行為だけを見れば変わらない気もしてくる。

碇雪恵『そいつはほんとに敵なのか』pp.149-150.

賛否はあるにしても、こういうことを正直に書ける碇さんはすごいなと思った。


そして投票は締め切られ、開票速報が出ている。私はあまりよく見ていないけれど、やっぱり私のSNSで盛り上がっていた戦争反対、改憲反対のムーブメントはフィルターバブルに過ぎなかったんだなということを見せつけられて気分は落ち込んでくる。だけど、私の願いがそこに反映されなかったからと言って、私の一票が全く無駄なものだったのかと言えばそんなことはないはずで、何より私は死んでいない、まだここにいるということそれ自体が、この世界への抵抗なんだという、そんな気がしている。官邸にご意見を送ることもできるし、署名もできる、政治に関わる道筋はまだ残されている。明日からの毎日も、変わらずに生きていく。私はここにいる。

@kyri
週末日記