昨日は一日中原稿をしたので、今日は朝から図書館と映画館へ行く。いや、原稿は毎日やってくださいよという話なのはわかっているのですが、読みたい本と観たい映画がたくさんあって……それにしても原稿は3月で終わらせて、4月からは別のことを頑張りたいと先日の日記で書いたのだけど原稿が終わってないので予定がどんどん後ろ倒しになっていく。
『テルマ&ルイーズ』を観た。
観始めてすぐのときは私だったらテルマみたいな人とバカンスに出かけるのはいやだな……と思っていたのだけど、彼女たちがさまざまなトラブルに見舞われていく中でテルマもルイーズも「主婦」と「ウエイトレス」というラベルから脱却していくその変化には胸がいっぱいになってしまい、エンドは(それがあまりにも有名なものだったとしても私にとっては初見なので)彼女たちの、決意と覚悟そして希望にすら満ちた選択に圧倒されて気づけば泣いていた。けど、このエンドしかなかったのかなあと思うと悲しくもなってしまい、生きてこそじゃないのかな……(突然のkiroro)とちょっとしゅんとなりながらロビーに出ると、偶然パンフレットが出ていることに気づき、ちょっと立ち読みしてみると児玉美月さんがコラムを書いていたので、それを読みたくて買った。
『テルマ&ルイーズ』のグランドキャニオンから女たちが車を加速させて飛び降りるラストシーンはあまりにも著名だが、これをリアリズムに立脚して単なる破滅的かつ衝動的な「自殺行為」と看做すよりも、寓意性の高い物語的結末として受け止めるべきだろう。映画はフリーズフレームによってテルマとルイーズの乗る車を空中に浮かんだまま堰き止めるが、そこには彼女たちを谷底に落とすまいとする作り手の意思が込められているようでもある。
児玉美月『すべてが違って見える』(パンフレットより)
テルマとルイーズはただ漫然と死に雪崩れこんでいったのではなく、いま・ここにはない世界を生きるためにこそ、崖の向こうへと飛び込んでいったのだと言ってみたい。映画は彼女たちに味方する。映画にしかできない仕方で、彼女たちの画策に加担する。不正義がまかりとおってしまう世界に価値などない。そんな腐敗した世界で生きるくらいなら、いっそ私たちもふたりとともに、飛び降りてしまった方がいい。
児玉美月『すべてが違って見える』(パンフレットより)
そう、エンドは車が落ちる前に画面が止まる。彼女たちが崖下に激突することは永遠にない。そこに私は希望というか、祈りというか、愛というか、救いを見てもいいのかもしれない。彼女たちはただ飛び立つ。手を繋ぎ、笑顔で。彼女たちの飛翔はそのまま、彼女たちの人生最高の瞬間に見えたっていいのだ。男たちにはそれが単なる自殺とか、破滅とか、のように映ったとしても、彼女たちにとっては、別の世界へ、ここよりもっとどこかへ、わたしがわたしでいられる世界へただ飛んでいくことなのだということ。だけどここまで考えてやっぱり、それでもなんで崖に飛び込むのが彼女たちじゃなくちゃならなかったんだ、とも思う。崖下に激突するべきは彼女たちを取り巻く世界だろ。
この映画が30年前のものだとは驚きだ。そしてリドリー・スコットがこの映画を撮ったんだなあとちょっと驚いたのだけど、でもそういえば『最後の決闘裁判』も撮ってるんだよなと思うと女性の解放、女性の正義というテーマはこの『テルマ&ルイーズ』から彼の中にずっとあったものなのかもしれない。でも私の中でリドリー・スコットは永遠に『グラディエーター』なんですよね。それは良くも悪くも。
できごとやおもったことうかんだことかんがえたことを文字にしてたくさんたくさんつみかさねて、それをよんでもらってここにかかれてるのはほんとうのことだっておもってもらうにはどうしたらいいんだろう、ほんとうはどこからやってくるんだろう。もししんじてもらえなかったらちょっとざんねんだけど、じゃあせめてうそとしておもしろかったらいいな。うそとしてもおもしろくなかったらそれはもうしょうがないか。
間宮改衣『ここはすべての夜明けまえ』p34.
ものすごく久しぶり、多分半年ぶりくらいに商業作家の小説を読んだのだけど、その、ものすごく久しぶりに読んだ小説『ここはすべての夜明けまえ』がとても素晴らしかった。本を開いてすぐにひらがなばっかりの文章にちょっとびっくりするのだけど、この文体がどんどん私を引き込んでいって、すごい引力で私に読ませていく。父親からずっと搾取されていた主人公が自分もまたシンちゃんを搾取していたのだと気づき、告白するくだりは息ができなかった。彼女の告白は感情からはちょっと遠いところにあって、だけどそれが彼女の、遠ざかってしまったけれど確かにそこにある、あった感情をいっそう際立たせているようにも見えた。エンドはすごくからっとした終わり方なんだけども、私に向かって大きく手を振る彼女の姿が、壊れた体でそれでも旅に出ようとする彼女の表情が見えるようで、私は『テルマ&ルイーズ』から引き続いてまた泣きそうになってしまった。
そして私は世相に疎いので、作中に登場するボカロ曲も将棋の名人も架空のものだと思っていたのだけど、突如として『ザ・ホエール』のブレンダン・フレイザーが出てきたので仰天してしまった。みんな実在していた。『ザ・ホエール』観たかったんだよな〜、一応配信では観れるみたいだけど有料なのか……。いや、本当に、久しぶりの小説体験がこの本でよかったと心から思いました。SFはあんまり読まないのだけど、なんとなくキム・チョヨプ『わたしたちが光の速さで進めないなら』を読み返したくなった。なんとなくだけど、同じ色彩が見えたような気がしたので。