今日は朝に本棚の整理をして、売ろうと決めた本だいたい20冊をブックオフに持っていった。売上げ、合計1,200円とちょっと。うーん、二束三文である。でもメルカリで売ろうと思ったらお金は入るかもしれないけど発送作業が大変だし、売れ残る本はいつまでも売れ残ってしまうし、それを考えたらどうしても楽な方に流れてしまう……。それにしても今どきのブックオフって、本とか高くないですか? 昔は文庫本だったら大抵の本は200〜300円で買えたと思うのに(そして子供の私は300円でも高いだろと思っていた)今は文庫本でも500円以上の本がごろごろしていてちょっとびっくりしてしまった。もう人気の本は新刊書店と変わらなくなってるのかもしれない。
午後からは映画に出かけた。1本目は『ぼくのお日さま』。ネタバレてるかもしれない。
冬の日の頬はきんと冷たくて、そこに降り注ぐ日の光がどこまでも柔らかいこと、雪に反射する日の光に思わず目を閉じてしまうこと、朝の雪は青色にひかること、雪にもいろんな種類があること、総じて、冬の日の陽光のあたたかさのことを思っていた。差し込んでくる光がとてもうつくしい映画だった。その光に包まれてスケートを滑る子役の二人がどこまでも眩しかった。光の中、二人でアイスダンスの練習をするシーン、それを見て思わず拍手する友達、はにかむ二人、なんて素晴らしいんだろうと思った。さくらが一人、ドビュッシーの「月の光」に合わせて滑るシーン、なんてうつくしいんだろうと思った。荒川とタクヤと三人で笑い合うその時間がいつまでも、いつまでも続いて欲しいと心から願った。(池松壮亮が心から楽しそうに笑っている姿に私は胸がいっぱいになってしまうのである)
だからこそ、本当に、美しくて眩しい映画だったからこそ、荒川とさくらのやりとりが本当に悲しかった。同性愛者という属性はここでも傷つけられてしまうのかと、たとえそれが子供とのやりとりであったとしても、傷つくものは傷つくだろう。さくらは単に自分がほのかに惹かれていた人に恋人がいたから、悔しくなって言ってしまっただけなのだと、そう言われるとそうなのかなという気もせんでもないけれど、でも仮に荒川の恋人が女性であったとしたらあんな物言いにはならなかったはずだし、子供だから何を言ってもいいなんて思えない。そして荒川は生徒を失って町を去ってしまうけれど、ここでも町を去るのは荒川の方なのかと思うと辛くてしょうがない。同性愛者という属性と「傷つけられ」はもうセットにしなくてもいいんじゃないか。みんなガラケー使ってるし荒川の車はカセットテープだしこの映画の時代は令和ではないんだろうけれど、それでもこれがセットになってると「またこれか」と思わずにはいられない。そこが本当に残念だった。でも池松壮亮と子役二人は本当に良かったので、複雑な映画になってしまった……。
2本目、『ルックバック』。地元の映画館では一度上映が終わってしまったのだけど、別の映画館が今になって上映してくれてすごく嬉しかった。
本当に泣いた。観ている間ずっと、私が小学生だったときに毎日のように私の部屋で一緒に絵を描いていた友達のことを思い出していた。私と彼女の関係は藤野と京本の関係に少し似ていて、それがなおさら泣けた。他人の才能に打ちのめされる感覚、だけど自分もと奮い立つ感覚、その他人が誰より自分のことを認めていて、自分の才能を全肯定してくれたときの、映画のとおり走り出したくなるような喜びと高揚、全部、知ってるよと思った。そして、この子には自分がいなきゃだめなんだと思う気持ちも、全部、わかるよと思った。
前の日記にも書いたけど、他人の人生に対して、あのとき自分がこうしていたらと思うのはエゴだ。私の介入がなかったとしてもその人の人生は続き、その人自身の選択でもって進んでいくだろう。藤野が京本を部屋から連れ出さなかったとしても、京本はいずれ自分の意思で部屋を出ただろう。だから「私のせい」なんて、思うのは傲慢だ。あり得たかもしれない人生は、あり得たかもしれない、に過ぎないのであって、本当に「そう」なった人生をの方を、どうやったって優先するしかないのだ。だけど、やっぱり、私たちは「あり得たかもしれない人生」の方を、つい考えてしまう。あの時こうしていれば、ああ言っておけば、言わずにいれば。起きてしまった現実を前にして、後悔ばかりが先に立つ。だからこそ、『ルックバック』が示した京本の人生の選択がどれだけ私たちを救うだろうか。この子には私がいなきゃだめなんだ、ってことは、ないんだよ、きっと。だから私も友達の彼女に対して、私がいなきゃだめなんだって思ってたことは、すごく、傲慢なことだったと今ならわかる。あなたがいなきゃだめだったのは、本当は私の方だったのにね。
音楽が素晴らしかった。音楽がかかるたびに泣いていた。今もサントラを聴きながらこれを描いているけれどずっと泣いている。優しさと祝福に満ちたピアノの音だった。
私の友達は今、画家になっている。そんなところも京本そっくりだ。映画館を出て、感情のままにLINEを開いて、彼女にメッセージを送った。ルックバックを観たこと、すごく泣いたこと、あなたのことをずっと思い出していたということ、包み隠さず書いた。今の時点で既読はついていない。もしかしたらもうアカウントを変えてしまって私のメッセージは永遠に届かないかもしれない。だけどそれでもいいと思った。私はあなたのことを生涯覚えているだろうと思った。生涯忘れないだろうと思った。