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20260927

kyri
·
公開:2026/9/27

昨日は前日の日記を書いて以降はちょっと本を読んだ以外はずっと寝ていたので日記に書くことがなかった。今日は朝から従妹のお店に行って髪を切ってもらった。本当に髪が伸びるのが早くて困る! 一ヶ月に一回美容院に行かないと前髪が目にかかって鬱陶しくてしょうがない。前髪を作るからダメなのか? という気もするけど前髪のない髪型をしていた時期が就活を終えてからの半年間だけであとの人生はずっと前髪とともに生きてきたので今更前髪をやめるというのもピンとこない。まあ、髪を整えておくのはいいことですねと割り切ってこれからも一ヶ月に一回、従妹のお店の売り上げに貢献しよう……

髪を切ってもらってからは電車に乗って街へ出て、サイゼでお昼を食べてから眉サロンに行って眉もぴかぴかにしてもらう。これで来週のJ庭もいよいよ大丈夫って感じ。それからお品書きと値札をコンビニで印刷して、定期の更新もした。来週にはJ庭だけど、この一週間の仕事が嫌すぎて来週が来てほしくない。J庭に行くためにはこれから5日間の仕事をどうにかこなさないといけないのである。嫌すぎるので今日くらいで時間が止まってほしい。冗談抜きでJ庭が終わったら心身のバランスを崩しそうなので本当に気をつけなくてはならない。仕事もやばいと思ったら早めに相談を心がけよう……

あれから十二年たったけれども、私はやっぱり更級日記から一歩も進んでいなかった。いったいまあ、私はそのあいだ、何をしていたのだろう。革命を、あこがれた事も無かったし、恋さえ、知らなかった。いままで世間のおとなたちは、この革命と恋の二つを、最も愚かしく、いまわしいものとして私たちに教え、戦争の前も、戦争中も、私たちはそのとおりに思いこんでいたのだが、敗戦後、私たちは世間のおとなを信頼しなくなって、何でもあのひとたちの言う事の反対のほうに本当の生きる道があるような気がして来て、革命も恋も、実はこの世で最もよくて、おいしい事で、あまりいい事だから、おとなのひとたちは意地わるく私たちに青い葡萄だと嘘ついて教えていたのに違いないと思うようになったのだ。私は確信したい。人間は恋と革命のために生まれて来たのだ。

太宰治『斜陽』新潮文庫 p.136.

『斜陽』はお母さんがスープを飲んで「あ」と言う一番最初のシーンのこと以外全部忘れていたのだけど、再読しても結局その一番最初のシーンが一番美しいんじゃないかという気がする。人間は恋と革命のために生まれてきたと語るかず子が一番生命力に乏しいように感じられたけど大丈夫なんだろうか、恋愛は体力勝負ですけども……というより『斜陽』に出てくる人たちみんな生命力が風前の灯というか、上原はなんだかんだで長生きしそうな気もしたけど(でもあれが太宰本人のことであるなら彼もそのうち死ぬな)そもそもこれは滅びの物語なんだからそれはそうだった、みたいな気もする。恋も革命も元気じゃないとできませんよ。

久しぶりに太宰の文学に触れてちょっと懐かしくなったので帰宅してから『人間失格』も再読した。私が初めて読んだ太宰は『人間失格』で中学生だったか高校生だったかは忘れたけど、でも『人間失格』についてはいつどの時点で、そして何回読んでも「ふーん」くらいにしか思えないのだった。昔は『人間失格』を読んで感銘を受けるような人間に憧れもしたけど今は別に憧れもしない。最後が「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」で結ばれていて、ゲッッッ!! と思っちゃった。それを言わせるのかよ。それを言わせると終わりだろと私なんかは思いますが。絶対『斜陽』の方が好きだ。初めて読んだ太宰が『斜陽』だったら私の太宰の印象も変わってたかもしれないんだけどな〜。『人間失格』は、どうしても「で?」としか思えないんだよな……

海外の日本文学研究家たちが谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫などの文学を読むとまずエキゾチシズムを感じてしまうが、太宰治の文学を読むと、作者が日本人であることなど忘れ、まるで自分のことが書かれているような切実な文学的感動にとらわれてしまうと口を揃えて語っている。日本の辺地、津軽出身の太宰治の文学がそのような現代世界に広く通用する普遍性、共通性を持っていることは、まことに興味深いことと言わねばならない。

『人間失格』解説 奥野健男 新潮文庫 p.166.

そうだろうか。私は太宰の小説を読んでも「これは私だ」と思ったことは一度もないし、太宰本人についても「しっかりしてくれ」以上の感想がない。太宰を理解する才能がない。

@kyri
週末日記