口が痛くて全てのやる気が霧散胡散。痛いのは確かに口内炎ができた箇所なのだけど、骨に近いところにできたからなのか、なんだか骨に響いて痛い気がする。その骨を伝って歯まで痛いような気がする。というか、痛い。最悪だ。もう痛み始めて1週間経つが治るにはもうちょっと時間がかかりそう。何だか私、毎月1回は口内炎をやらかしてるよな〜。昔はこんなにしょっちゅう口内炎ができることもなかったのだけど、体質が変わったんだろうか。
可愛い可愛いと褒めそやしてきたかと思えば、同じ人たちが、自分が可愛いと思っているとか、自分を可愛く見せようとしているということを悪いことのように言うこの世界は私には難解すぎた。だって自分が可愛いなんてとうにわかっている、耳に胼胝ができるほど言われたのだから、気づかずにいる方が難しい。この世に生を享けた日から、この子は美人になると言われたのである。そして、可愛いことをよいことと讃える同じ口が、より可愛くあろうとすることをなぜ罪のように言うのだろう?
川野芽生『かわいいピンクの竜になる』p94.
川野芽生『かわいいピンクの竜になる』を読んでいて、懐かしいな〜と思っていた。というのも、私はロリィタではないが、10代から20代前半まではゴスとパンク服を愛好していたからだ。ロリィタに興味は向かなかったけれど、このエッセイに出てくるロリィタ服のブランドの名前には知っているものもある。私は原宿ストリートファッション誌のKERAをよく買っていて、その中ではゴスもパンクもロリィタも同じ誌面にいたのだ。だから川野さんの文面に出てくるブランドたちには懐かしさを禁じ得ない。そういえば大学演劇部の同期にもInnocent Worldを愛好している子がいた。
10代から、と書いたけれど、お値段的に厳しかったのもあって、高校時代はそこまでゴス服を持っていなかった。本格的に集め始めたのは大学生になってからだ。お気に入りのブランドはALGONQUINS。本当はh.NAOTO ANARCHYくらいにパンクに振り切った格好をしたかったのだけど、当時の神戸三宮ビブレには確かANARCHYは置いていなかったのである。ALGONQUINSは当時中学生だったときに大阪アメ村を旅行して、そこで初めて買ってもらったパンク服だった。だから他のブランドよりも抜きん出て愛着があった。パンクだけれどポップで、カジュアルとしても使えるバランス感覚の良さが好きだった。
でも腑に落ちた。ロリィタ服は、親によって着せられる服ではないのだ。誰にも強いられず、必ず、自分の意志で選び取って着る服であること。それがとても重要なのだと思う。他者からの眼差しなんて蹴飛ばして服を着ることが。
川野芽生『かわいいピンクの竜になる』p27.
そうなのだ。私がゴスやパンク服に憧れ、着るようになったのも、自分の意志で選び取った結果だった。当時どんな気持ちであのお洋服たちを愛していたのかもう朧げにしか覚えていないけれど、目立ちたかったというわけでもないのだ、ただそのお洋服たちは、10代の私のたましい(と呼んでも大丈夫だろうか、なんだか緊張する)の形にぴったりとはまっていたように思えたのだ。初めてゴス・パンク服を目にしたとき、これを着たい、着るのだと強く思った。それは今この年齢ではもう味わえないようなひらめきだった。人の目なんて関係ない、自分が女か男かということも関係ない、ただ、これだったのだ。そういう気持ちだったという意味では、私と川野さんは少し似ているのかもしれない。大学生になって、初めて神戸三宮ビブレに足を踏み入れたとき(三宮ビブレは小ぶりなラフォーレ原宿みたいなファッションビルのことだ)ここに私が求める世界が全部あると思った。大人になって着る服は変わったけれど、あのときほどの感動はもう持てないことを感じている。
古い写真を振り返っていて、ちょうど10年前の昨日が大学の卒業式だったようだ。私はありがたくも卒論に賞をいただいて、卒業式の後に行われる謝恩パーティーで表彰される機会を得た。このときに着た服が、今思い返しても、私のゴス服の総決算みたいなコーディネートだった。
10年前の私だ。後ろにキャリーケースが写っていて笑える。
卒業式では袴を着て、そこから着替えてパーティーに行った。ヘアセットはそのままにして、今なら大きすぎだろと思うヘッドドレスをつけ、トップスはヴィヴィアン・ウエストウッドのブラウスとh.NAOTO、スカートもh.NAOTO Jelly、ハイソックスもヴィヴィアン・ウエストウッド、そして足元はドクター・マーチンのピンヒールブーツを合わせたんだった。おかげでパーティーでは激目立ちで大人気だったし、確かに私は紛れもなく綺麗だった。でも何度も書くけれど、目立ちたかったわけじゃない。当時の私のたましいの形がこれだったのだ。人生の晴れ舞台とも言える場で、自分がいちばん着たい格好をする。今思い返しても、あんなに幸せな時間はなかった。
それから服の好みは移り変わり、社会人になってからはまずヴィヴィアン・ウエストウッドに傾倒し、ちょっと心のテンションが落ち着いて、今はMM6と、たまにsacaiを着ている。順当に価格帯が上がっていくが、収入も同じだけ上がっているわけではないところがつらい。でもこれからもマイペースに着たい服を着るだろう。普段は会社と家との往復で同じ服しか着ないけれど、根底には、おしゃれが好きだなという気持ちは持ち続けていたい。
それにしても、大学の卒業から10年かあ。10年……10年なんてあっという間である。怖い。