一夜明けてもハン・ガンのノーベル文学賞受賞が嬉しくてしょうがない。自分とハン・ガンの出会いは何だったっけと思い出そうとしてももうよくわからない、確か『菜食主義者』だったような気はするものの定かではない。けれど本当に大好きで、邦訳された単行本はほとんど持っている。前の日記でも書いたけれど、『少年が来る』はとにかく圧倒されてしまって読み終えてしばらく声も出せずに泣いた。でも『回復する人間』がいちばん好きだと思う。そこに収録されている「火とかげ」が大好きなんだった。これを機にハン・ガン読者が増えてくれればいいなと思うし、さっき図書館の蔵書検索をしてみたらハン・ガンの小説にいきなりものすごい数の予約が入っていたりして、それをすごく嬉しく思う。こういうときにいつでも読みたいときに読めるという、単行本を揃えてる勢は勝ち組だなと思うのだった。私はこれを機にもっと韓国文学を読みたいな。クオンから出てるシリーズとか、普通に装丁が可愛いのでフルコンしてみたい。
7月に東京に行ってしまった元上司が帰ってきたので二人でオイスターバーに行ってきた。このオイスターバーは今年の2月にも行ったことがあって、2回目の訪問。お客さんもたくさん入っていてよかった。生牡蠣を食べてしまったのであたらないことを祈っていてください。
私はかつて大阪で働いていて、心身の調子を派手に壊したので、もう無理だと思って地元に帰してくださいと異動願いを出して、それが受理されて今無事に地元で働いているのだけど、そのことについて、上司が「あなたも気の毒だった。女性という下駄を履かされて、なまじ仕事ができるから忙しい部署に放り込まれてそこでスパルタでしごいて偉くならせるという会社の思惑に乗せられて、翻弄されてしまったんだと思う」と言った。
私は確かに忙しいというか、会社の偉い人との距離がすごく近い部署にいて、それなりにまあ忙しくて厳しい日々を過ごしたけれど、だけど私の心身が壊れた理由は正直なところ会社のせいではなくて、そのときに起きた人間関係のごたごたとか、それでも無理をして自分の小説を書き続けたことにあるのだとずっと思っていて、だけど上司はそんな事情を知らないから、私が壊れた理由を全部会社に求めようとしていたけれど、でも私は私でそれは違いますよとも言えなくて、ただ、そっかあそんなふうに考えてくれる人もいたんだ、という新鮮な驚きというか、ちょっと感動していた。あの日々の私のことを、身一つで頑張っていた私のことを、そんなふうに思っていてくれる人がいたんだ、と、もうすぐ10年が経とうとするけれど、10年経って、あの時の私がまたほんのすこし報われたような気がした。体を壊した事実はどうしたって覆らないし、そのせいで私は他の同期たちの足並みとは外れてしまったけれど、でも私は無為に壊れてしまったわけではなくて、あのとき、ひたむきに頑張っていたことは嘘じゃないんだよなと、そんなことを、自分のことながら再発見した気分だった。私は、頑張っていた。他の誰より、とはいかないかもしれないけれど、私は私のできることを精一杯やろうとしていた。能力も何にも足りなかったけれど、毎日、ひたむきだった。それが、元上司の言葉で一気に腑に落ちたような気がして、ちょっと泣きそうになってしまったんだった。
だけど、元上司は私のことを「気の毒だった」と言ったけれど、私はそんなことは思っていなくて、今、あの日の部署のことを思い出すとき、辛かったこともあるけれど、だけど、圧倒的に楽しかった、きらきらしていた、輝いていたという大きな実感が身に迫ってくる。確かに、私は女だったから下駄を履かされていたのかもしれない、下駄を履かせたうえでしごかれていたのかもしれない、だけど、あのとき私を支えてくれたのは、今でも、幸せであってくれたらいいなと願えるような人たちばかりで、みんな優しくて、私のために力を尽くしてくれた人たちで、だから私は決して、不幸せではなかった。あの部署にいれたことは人生の宝物だったと思う。私は絶対に、不幸せではなかった。とはいえ死ぬほど仲が悪かった上司がいたのもこの部署なので、一筋縄ではいかないところもあるのだけど、今思い返して、トータルで見て、私はあの部署が大好きだったということです。これこそ洗脳された社畜じゃないですかと思われるかもしれないけど、でも、私が不幸せじゃなかったと言うならそうなんである。結果的に心身が壊れたからといって、そのときいた場所が100%悪だったのかといえばそんなことはないはず。
地元に帰ってきて2年、私はだいぶ、眠れるようになった。日中も眠すぎるので眠気覚ましの薬に頼ったりもしているけど、でも、眠れないよりはずっとまし。こういうところも、帰ってきてよかったなと思うのだった。大阪に居続ていたらもしかしたら得たかもしれないもの、広がったかもしれない交友関係、そういうことを思っては寂しくなる日もあるけれど、だけど、生き延びるために私は帰ってきたんだ。だからこれからもここで生きて、ここで生きることに価値を見出していかなきゃならない。