20240302

kyri
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3月になったのに、雪が降った。朝起きて、窓の外を見ると世界が白くなっていてびっくりした。けれど、その白い世界を見て少し安心もした。もっと、このままでいてほしい。もっと、冬が続いてほしい。どうかずっと、この白い世界の中にいさせてほしい。また今年も少しずつ歯車が狂い始めているのを自覚しながら、静かに降り積もる雪の一粒一粒に祈る。だけどその雪は昼間に太陽が差したから、すっかり解けてしまった。

先日の日記で、私は3月になると具合が悪くなると書いたけれど、どうやら今年も、そんな季節が本格的にやってきたみたいだ。朝起きた瞬間から疲れていて、人と話すのが億劫になって、何となく集中力もないし、特にこれといって何が、というわけではないのだけど、とにかく自分のことがいやで、これといって何がというわけではないというのはすなわち全部ということである。SNSを見てもあんまり面白くないし、どころか消耗するし、けど見るのはやめられないし、そういうことをしているうちにまた自分がいやになり、もうだめ、ちょっと疲れた、話すのも笑うのもちょっとしんどい。そんな感じでこの数日間を過ごしている。今、あんまり考えすぎると「死にたい」に思考がまっしぐらにダッシュしてしまうので、何を見ても聞いても話半分くらいでいることを心がけている。大谷選手の結婚はおめでたいけどおめでたいな〜くらいの気持ちでいるのが一番いい。みんな大谷選手の結婚に右往左往しすぎである。

今日も朝から具合が悪くて午前中をこんこんと寝ていた。眠気覚ましの薬を飲んでもこんこんと眠れることがわかった。でも薬のおかげなのか、昼前に目を覚ましたときは案外すっきりしていて、本でも読もうかな、読めるかな、と思い、手に取ったのは雨宮まみさんの『40歳がくる!』だった。

雨宮まみさんについては『女子をこじらせて』しか書籍は持っていなかったけれど、この本はたまたま本屋で見かけてクリスマスの日に買った。真っ赤な表紙が目を引いた。とても美しい赤色だと思った。その中にモノクロの姿で写る雨宮さんもまたきれいだと思った。

「四十歳になったら死のうと思っている。」

 桐野夏生『ダーク』の有名な冒頭の一文である。この一文のあと、主人公の女探偵は、自分のこれまでの人生に決着をつける旅に出る。

 私の中で漠然と、40歳というものはそういうものだという認識があった。覚悟を決めたり、何かをつきとめたり、しっかりと定まった目標に向かってゆく年齢。若くはないとしても、その姿を想像すると、意志のあるそんな四十女の顔は、どんなにかっこいいだろうと思っていた。

この「はじめに」の通り、雨宮さんは40歳で亡くなった。2016年11月に雨宮さんの訃報をtwitterで知ったとき、私は雨宮さんという存在を知らなかった。けれどいろんな人が雨宮さんの訃報に際して悲しみを表明しているのを見て、何だかきっと、とても大切な人がいなくなってしまったんだなということを思った。それから数年後に『女子をこじらせて』を買い、webに残っていた雨宮さんのコラムやエッセイを時間があるときに読んだりした。この『40歳がくる!』もwebで見つけて読んでいた。最後の更新は確か2016年11月1日だった。この最後の更新から2週間後に雨宮さんは去ってしまった。

「雨宮さんは最近どうなの?」

「いや、40歳くるの、やばいよね」

「どうやばいの?」

「40歳直前の時期っていうか、今もだけど、ありえないようなことばっかりで、今年はめちゃくちゃ。今も8月だとか言われても、全然もう、そんなこともわかんないくらい、アップダウンが激しい。時間の感覚が歪む」

「あー、もともと雨宮さん、そういうとこあるよね」

「メンヘラって思ってるでしょ」

「いやいや、まぁそれもあるけど」

「もともと不安定だけど、ちょっとやっぱり今年の波は普通じゃないよ」

「でも、そういうときって、仕事はさ」

「できるんだよねえ。死ぬほど書ける。もう書けないものはないぐらいに思う日もある。実際は、そこまで書けるわけじゃないんだけど、書けるよ。普通のときよりも」

webで読んだときから、このやりとりがずっと、強く記憶に残っていた。不安定なときほど、波が大きいときほど死ぬほど書ける。雨宮さんはそう書いた。この感覚は覚えがある。知っていると思う。私が最初に具合を悪くした8年前、私は社会人2年目、だけどものを書いていた自分のことを忘れたくないと、必死に自分の創作活動を続けていた。今思えば、私の創作の命は風前の灯のようなものだった。仕事の、社会の荒波に揉まれて私の気力は見る間にすり減った。命がすり減ったと言ってもいい。だけど命がすり減ったとしても、ものを書いている自分が消えることの方が一億倍いやだった。だから毎日早起きして会社に行く前にスタバやサンマルクに寄り、自分の小説を進めてから出勤していた。どんなに仕事が辛くても、異動で環境が変わっても、社会人1年目の冬に祖父が死んでも、私のせいで人間関係が大きく崩れても、これだけは休まなかった。そんないろんなアップダウンがあって、私はなおさら命を燃やして、無事に小説を書き上げることができた。だけどそれから私の命は消えゆく一方で、春になろうとする直前に、本当に止まりかけてしまった。だけど、あのアップダウンがなければ、私は書き上げられなかっただろうとも思うのだ。アップダウンが命を燃やす。燃えた命はあり得ないほど強く輝く。それは爆発的な力を発揮する。だから雨宮さんが死ぬほど書けると言った気持ちは、私にもわかる。そして同時に、それをやったら死んでしまうのだということも、私にはわかる。

「不幸でなければ面白いものを作れない」というジンクスのようなものが、この世界にはある。確かにそういうタイプの人もいる。幸せになったとたんにつまらなくなってしまう人。不幸であることを原動力にできる人、ネタにできる人。

 不幸なものほど共感を得られやすいし、つらい、さみしい、切ない、そういうネガティブな感情のほうが、人の心に寄り添っていきやすい。「不幸な頃のほうが面白かった」。それは、この世でいちばん下品な言葉だと私は思っている。その下品な言葉と戦って勝つために、生きたいと思うことさえある。

生きたいと、確かに書いていた雨宮さんが、このエッセイの発表からそう遠くないうちに死んでしまったということは、今読み返してみて、改めて悲しいと思う。たとえ幸せになったとしても変わらず面白いものを書いたかもしれない雨宮さんをずっと追いかけていたかった。幸せでいたとしても面白いものは書けるのだと雨宮さんに証明して欲しかった。だけどそれも身勝手な願いだ。そんなこと自分で証明しろという話である。辛いことのアップダウンがなくても命は輝くのだということを自分で証明して見せろ。雨宮さんはいなくなってしまったけれど、残されて、今、雨宮さんの作品に触れる、生きている人間は、まだこのことを証明できる希望がある。みんなで幸せになろうよ。幸せになって、それでも面白いものを書こうよ。

死ぬなんてあまりに勿体無い、と思っていたけれど、収録されていた未公開原稿の「だんだん狂っていく」があまりに凄まじくて、こんな言葉は絶対にそぐわないのだけど、もしかしたら雨宮さんの感受性は、人生は、こんな死の形でしか帳尻の合わないものだったのかもしれないとさえ思った。自分の心に何が起きているのか、何が自分をそうさせるのか、今このとき自分は何を思っているのか、どんなことを、どんなふうに受け止めているのか、自分にまつわる、自分を取り囲むあらゆるものを言語化する才能がありすぎた。「だんだん狂っていく」だけを何度も読み返している。絶対にそぐわない、そぐわないけれど、それでも「こんなものを書けるなら死んでもいいよね」と思ってしまった。だけど「こんなものを書けるなら死んでもいい」と思えた先に、私たちは行かなきゃならないんだ。もう死んでもいいと思えるほどに嬉しいこと、やり遂げられることはこの先の人生に、まだ起こるはずだ。それを信じて、日々を学び、楽しみ、愛し、生きていくしかないんだ。

雨宮さんが40歳で亡くなってから7年が経った。47歳になった雨宮さんが、そして50歳になっていたであろう雨宮さんがそのとき何を書くのか、読んでみたかった。この本の他には『女子をこじらせて』しか持っていないので、これを機に他の本も読んでみようかな。

しんどかったけど、雨宮さんの文章を読んで「こうしてはいられない」と思い立ち、こうして日記を書いている。他人の才能に触れる瞬間はいつだって素晴らしい。圧倒されるものに出会えることは幸せだ。明日は雪も雨に変わるので、できれば映画を観に出かけようと思う。そして私も自分の作品を書くのだ。結局は自分の書きたいものを書いている人がいちばん強いのだから。

@kyri
日々と二次創作の間で