20240321

kyri
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めちゃくちゃ歯が痛い。今日突然痛み出したわけではなくて、数日前からなんとなく奥歯が痛いなとは思っていた。それがどんどん悪化して、今日になってみるともう食事で一口二口噛んだだけで全然だめである。見て見ぬふりをしていたけどもうこれはだめだ、めちゃくちゃ痛い。だけど鏡を見てみても奥歯にそんな虫歯があるようにも見えず、あれかな、顎関節症かなとも思う。そういえば去年の今頃もものすごい顎関節症をやらかして、ほとんど口が開けられなかったことを思い出した。私は昔から食いしばりがひどいのだ。このままだと歯が欠けてしまうかも……。まあ先のことはわからないけど痛みは本当に差し迫っているので明日歯医者に電話しようと思う。もー、休日の予定がどんどん狂っていくよー。

『パンデミック日記』を読み始めてすぐこれはなんか読んだことがあるぞと思い、部屋を探したけれど当時これが特集された新潮は見つからなかった。んん? だけど確かにこのブレイディみかことか朝吹真理子とか金原ひとみとかの日記に覚えがある。立ち読みして済ませたんだろうか。見つかれば今無理してこの図書館から借りた『パンデミック日記』を読む必要はないんだけどなと思いつつ、見つからないので読み進めることにする。なんとなく自分の誕生日は誰が書いたのだろうと思って見てみると、東浩紀が書いていた。

6月3日(水)

前日夜に「東京アラート」が発令された。東京はふたたびコロナに警戒せよとのこと。起きてネットを覗くと、赤く不気味に照らされた都庁舎とレインボーブリッジの画像がタイムラインを賑わせている。それ以外の情報はなし。ただただ滑稽。この日記が活字になるとき、東京アラートはどれほど記憶されているだろうか。

『パンデミック日記』p85.

東京アラート、全く覚えていなかった。2020年の私は大阪に住んでいて、大阪の街がどうだったかということさえ今ぱっと思い出せないのに遠く離れた東京のことなどまず思い出す以前に何も記憶に残していない。テレビも見ていなかったし、東京の地に赴いたわけもないし、東浩紀が懸念したとおり東京アラートははるか忘却の彼方だった。だけど、この日記集を読んでいても、あのとき、確かに私にもこの日々はあったはずなのになと思うものの、今では思い出せる日々すべてに何処か靄がかかったようで、なんとなく記憶全てが曇りガラスの向こう側に行ってしまったような気がする。だけど、その中でもはっきり思い出せるのはめちゃくちゃ出費をしたということだ。私は今もあのときも安定した会社員で、コロナのせいで破綻した、あるいはしつつある人やお店のことをネットで見かけるたびにめちゃくちゃ後ろめたく、私一人にできることなど高が知れているが、たとえばクラファンとか寄付とかの要請をSNSで見かけると居ても立っても居られなくて手当たり次第にお金を出していた。あとここぞとばかりに自分の生活を底上げしようと思ってめちゃくちゃ買い物をした。そのおかげで確か4月あたりのクレジットカードの引き落とし額がものすごいことになって、結果、布団に丸くなってがたがた震えることになった。今も昔も頭が悪い。

とはいえ、私の2020年は、よく書いた1年だったと思う。会社にテレワークが導入されて、時間ができたというのもあり、この状況を記録しなければと、誰に頼まれたわけでもないのに妙なやる気が出たりして、半年間くらいほとんど毎日日記を書いた。テレワーク中の自分の生活をエッセイに書いて、それを試しに投稿してみたらその週だったか月だったかのベストエッセイに選ばれたりもして、嬉しいよりもそんなことがあるんだと驚いたりもした。選ばれただけで他についてまわるいいことは特になかったものの、参加賞としてもらったアマギフで本を買ったような気がする。だけどこれも『パンデミック日記』を読むまではるか忘却の彼方だった。そんなもん。嬉しかったことも辛かったことも後ろめたかったことも平等に忘れていく。でも、だからこそ、あのとき日記を残しておいてよかったのかもしれないとも思う。

コロナウィルスを巡って、インターネットの海には怒りが溢れていて私も怒りを感じるし、この対応の悪さには首相の引責辞任も全くおかしくないと思う、スーパーからマスクやトイレットペーパーが消えた光景には恐怖を感じるし、東京オリンピックを控えておいてこの国は破滅に向かっている。それでも生きることはそう悪いものじゃないと、人を愛して心の純度が上がる瞬間があると、信念を貫いた人の眼に映り記憶に残り続ける世界は美しかったと、教えてくれるのはもはや映画や文学そして音楽だけなのだろうか。

2020/3/6 の日記

2020年は、「過ぎていっている」と言うよりも、「消えていっている」と表した方が、私にはすとんと腑に落ちる。

一日は、「昨日」となった時点で「過ぎた」のではなく「消えて」いる。ふっと、いなくなっているような気がする。あんなに終日気を揉んだ大阪市住民投票も、気づけばもう一週間前のことで、あの日の朝、きらめく秋の陽光、投票の後に食べたトーストとコーヒーの味、部屋に帰ってきた後の感情の揺らぎ、あれらはもはや、私の背後遥か遠くに押しやられて、まるで小さな点みたいだ。まだ一週間も経っていないはずなのに、もう、あの日は点のように遠い。

2020/11/6 の日記

うーん、2020年の私の方が文章がうまいんだよな。悔しいなあとは思いつつも、2020年は確かにものを書くことに関してはとても調子が良かった年だったので、そっかー、と思うにとどめておく。4年が経って2024年、こんなふうに肩肘張らずに気楽に書いているこの日記もまあまあ嫌いじゃないのだ。とはいえ文章は訓練というのは本当にそう。2020年も気付けば日記をやめてしまっていたしこのしずイン日記もいつまで続くかわからないけど、訓練なんだよな、と思ってもうすこし続けてみようと思う。

@kyri
日々と二次創作の間で