20241110

kyri
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公開:2024/11/10

ずっとblueskyにtwitterでいうところのspace機能が欲しいなと思っていて、bluesky公式にもspace機能つけてくださいってフィードバックをしていたのだけど、そうしたらアプリ外部ではあるけど個人開発のbluecastという配信サービスがあるというのを先週知って、早速試してみているところ。私はtwitterにいたときは結構頻繁に詩や小説を朗読するspaceを開いていて(リスナーがいたかどうかはさておき)それをblueskyでもできるようになって嬉しい。私は別にめちゃくちゃ朗読がうまいというわけではなく、めちゃくちゃ噛んだりするけれど、人の詩や小説を朗読すると得られる心が洗われるような感じを求めて朗読をする。自分じゃない人が書いた言葉が自分の声となって耳に入ってくるというのは、今こうして自分の思考で、そして自分の言葉で日記を書くこととはまた違った不思議な感覚がある。自分の思考や言葉はどこまでも自分のものでしかなく、自分という範囲の外に出ることはできないけれど、他人の言葉はそういう意味では初めから私の範囲にはないもので、それは時には思いもよらず、時には自分の言葉以上の納得を連れてくる。その他人の言葉との距離が自分の声を介在させることによってまた一度かき回される。そうして、私の声であって他人の言葉であるもの、ができる。その不思議な存在感が、いつも私の心を癒す。そんなにしょっちゅうは配信できないけど、時間があるときは積極的に開いていきたいと思う。ちなみに得意なのは川上未映子とハン・ガンです。ハン・ガンといえば今日「私の女の実」を読みました。これで邦訳された彼女の作品はコンプリートです。


アンナチュラルもMIU404も観ていないのでラストマイルも観ないまま逃げ切れるだろうと思っていたのだけど、家族が熱心に勧めてくるものだから、とうとう根負けして観に行った。8月に公開された映画で、11月になってまだ上映されているということ自体がすごく、でももうお客は私くらいだろうなと思っていたら意外にもぱらぱらと今でも観にくる人がいて驚いてしまった。

アンナチュラルもMIU404も観ていないからこそ、この2作を履修しないまま一足飛びにラストマイルを観てしまうのはルール違反だと思っていた。観たら観たで絶対に楽しむだろうということはわかっていたので尚更だった。そして、思った通りすごく楽しんだ。すごく面白かった。でもアンナチュラルやMIU404の人たちが出てきたときはちょっと胸が痛んだりした。この人たちの物語に触れていたらもっとこの人たちの登場を楽しめていただろうなと思うとやっぱり前2作は観ておくべきだった。家族からは別に前2作を観ていなくても単体で楽しめるよとは聞いていたけれど、せっかくシェアードユニバースなのだから、その醍醐味はちゃんと味わわなくてはならないだろう。

すいませんいつも楽して通販で全部済まそうとしてごめんなさい、もう通販やめますと言ったところでそんなことできるはずないし仮にみんなが一斉に通販やめたとしてもそうなったらなったで仕事を失う人たちが出てくる、私たちはもはやそういうつもりがないとしてもみんなベルトコンベアの上に乗せられていて、止まることはもはやできず、二進も三進もいかない状況にある。この映画を観て行き過ぎた通販の文化はもはや悪だと思うことは簡単だけど、それはもう私たちの生活そのものであって、この通販の生活はいろんな仕事の基盤になっていて、この通販の生活があるからこそ食べていけている人だって存在しているわけで、そう考えると、やっぱり、止まることはできないというか、もはや許されない。私たちの生活はもうずっと前に作り替えられてしまった。だからこの映画が、アンナチュラルとMIU404を結びつけるのに「物流」というテーマを選んだのはただただ上手いなと思ったのだった。それは私たちの生活の通底であって生活そのものだから。

だから進むしかない。いろんな問題を内包しながらも、それでも進むしかない。立ち止まらずに、進みながら改善して、どうにか心と体を守って、やっていくしかない。誰もがベルトコンベアに乗り、止まらない流れの中で、一発逆転の解決策はなく、ただ目の前のことを受け止め、誠実にこなし、生きていくこと。

例えばあなたがずっと壊れていても 二度と戻りはしなくても

構わないから 僕のそばで生きていてよ

どこかで失くしたものを探しにいこう どこにもなくっても

どこにもなかったねと 笑う二人はがらくた

米津玄師「がらくた」

米津玄師のこの歌は映画を観終わって聴くと「生きてこそ」というメッセージを受け取った。「壊れていてもいい」ただそれでも生きていることこそが大事なんだと。時代はもはや「壊れているかどうか」じゃなくて、「それでも生きているかどうか」が問題で、重要なんだと思う。壊れているかどうかで人を測る時代はもう終わったんだ。だってきっと、みんなどこかは壊れているのだから。完全無欠に無傷の人なんて存在しない。そして、傷はあって当たり前なのだと、隠さずにそう言える世界に変わってきている。だから、その上で、生きていることこそが何より大事なんだ。

一発逆転は起こらない、だけど生きてさえいれば、それさえあれば。そんなぎりぎりのところをみんな生きているのだと思う。

かつて経理の部署にいたとき、年度末決算が怖過ぎて、私もベランダから飛び降りようとしたことを思い出した。結局私は飛び降りることも怖くてやめたけれど、だけどこんなふうに、もはや誰でも飛び降り得る。心身の健康を害することは誰もに身近で、珍しいことでもなく、逃げることも難しい。だからもうそれはそうとして受け止めるしかなく、その上で、それでも生きろと、踏みとどまれることに価値があり、というかもう、それにしか価値がない。この映画はいろんな人が死ぬけれど、でも、「生きろ」と言う映画だった。

個人的には配送ドライバーの親子がMVPだった。この親子に限らず俳優全員が生き生きとして勢いがあって楽しそうにお芝居をしていて、そういう映画は見ていて幸せになる。そしてお手本にしたいくらいの見事な脚本で感動してしまった。無駄な台詞、意味のない台詞が一つもない。あらゆることは繋がっていた。

@kyri
週末日記