20240109

kyri
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今日は平日なので簡潔に。できるかな?

今日、地震で亡くなった人が200人を超えたとの報道。

今日の朝刊の一面「氷見 厳冬下の復旧作業」。氷見では未だ断水が続いている一方で、今日のニュースによれば、この地震で家が倒壊した人に支援金が支給されることになったらしい。また、ボランティアも現地入りしたそうだ。

帰りの電車をホームで待っている時に地震。ぐらりと揺れる。早速twitterで特務機関NERVのアカウントを見に行って、震源が能登ではなく新潟であることを知る。ちょっと、軽く絶望した。もう日本に住む限り、地震という点において安全な場所なんてどこにもない。大阪に住んでいるときは南海トラフ地震をずっと心配していた。地元に異動になって、その心配からは離れることができたなとホッとしていた。でも南海トラフが来るより先にこの地震が起きた。北陸の人みんなにとって自分の住んでいる場所は全くのノーマークだったはずだ。何もあてにならない。富山が震源の地震だってこの先起こらないとも限らない。全部、何もあてにならない。一寸先は闇。とここで、新潟だって今回の地震では相当な震度が出てるよなとようやく思い至るのだった。富山より揺れているかもしれない。能登の方ばかり見てたけど、新潟だって相当被害が出ていておかしくない。けれどNHKニュースでも、新潟のことはあまり取り上げられていないような印象。しょうがないのかな、わからない。

もうなにもあてにならない、もう私だって死ぬかもしれないんだ、と、絶望的な気持ちで電車に揺られて帰っていたらtwitterのお友達から私を気遣うDMがきた。嬉しい。自分が忘れないために書いているこの日記だけど、誰かにはちゃんと届いているんだと思えることは貴い。SNS(主にbluesky)に地震の愚痴ばかりポストしている今日この頃だけど、全然地震の話してくださいねってわざわざ声をかけてくれる人もいる。私の呟きや日記を読むことで、自分にできることをやろうって思えるのがありがたい、とのこと。こっちこそありがたい。嬉しい。私は一人じゃない。

SNSでは政府の対応の遅さを批判するツイートでタイムラインが溢れかえっている。そうだよね、と思う一方で、ちょっとみんな全員一回黙って、とも思う気持ちの間で常にぐらついている。でも黙って、って気持ちじゃ何も進まないし、声を上げてくれる人のおかげで物事は回っているのだと思うから、黙って、とは、思うだけにとどめておく。しばらくSNSを見ない方がいいのかもしれない。そういう怒りのツイートは見ないようにして、平和な二次創作が溢れるタイムラインを見ててもちょっと気持ちが参ってしまうんだよね。だから見ない方がいいっての。でもこんな時だからこそ、なのか、人との繋がりを持っていたい気持ちの方が強い。常に、誰かと話したがってる気がする。

被災にもグラデーションがあって、私は全然薄い方、家も壊れてないしご飯は食べられるし、お風呂にも入れる。余震が続いていること以外はもう全然普通の暮らしをしている。だから、私なんかよりもっと大変な人がたくさんいるんだと思うと、私の地震の愚痴なんて黙ってろよって、自分で思ってしまう。この日記だって、衣食住が確保された状態でいる私が書いて何の意味がってしょっちゅう思う。だから、これは自分が覚えておくための日記や呟きで、人のことなんて関係ないんだって思うようにしている。鬱陶しいよね、ごめん、でもこの日記の更新が自然に止まるまで、お付き合いいただければ嬉しい。

@kyri
日々と二次創作の間で