引き続き、昨日見にいったMM6のTシャツとblurhmsのノースリーブジャケットを買うかどうかで一日中悩んでいる。今日もまた踏ん切りがつかず帰宅してしまった。買ったら買ったで絶対たくさん着るだろうということはわかる。絶対元を取れることはわかる。でも、その取ろうとする元がそもそも高い。去年もMM6のTシャツを買ったけれどあれは2万円だった。2万円でもそのときはびっくりしたけど試着してみてそのあまりのジャストサイズ・ベストフィットに感動して勢いで買ってしまったのだった。そのTシャツは夏じゅう着倒して元を取りまくりだ。だから今年もあのTシャツを買えばそのヘビーローテーションの一巡になることは間違いないのだけど、でも、ごまんえん……もういっそ売れてくれ。何があってももう手が届かないのだというところまで、遠く遠くまで飛んでいってくれ。そんな気持ちで帰宅して、いつかの古本市で買っておいた山内マリコのエッセイ『買い物とわたし』を読んでいる。これを読んで決意が固まるかどうかはわからない。しかしこの本、面白いのだけど、これを書いた当時のマリコ氏はちょうど今の私と同い年で、「ファッションは年相応なものを」と言われると、年相応ってなんや……と頭を抱えたくなってしまう。年相応、多分死ぬまでわからない。けれど先日読んだ川野芽生『かわいいピンクの竜になる』はその真逆、年相応なんて知るかというスタンスだったので、結局自分もどっちを取るかなんだろうなと思う。まあ、私は川野芽生ほどに強固な意志はなく、単に無頓着なだけなんですが……
では、皆さん、シスター・アンナの後に続いて、大きな声で復唱してください。
ひとつ、「物語」に毅然とした態度をとる。ひとつ、「物語」に愛想笑いをしない。ひとつ、「物語」を押しつけられた場合はちゃんと否定する。曖昧な態度を取っては、「物語」の思うつぼですよ。ひとつ、知らない人から知らない「物語」をもらわない。ひとつ、登下校の際に知らない「物語」が近づいてきた時は走って逃げる。皆さんはもう小学生なんですから、ちゃんと小さな子たちのことも守ってあげましょうね。ひとつ、「物語」をちゃんとお父さんお母さんに報告する。
松田青子『男の子になりたかった女の子になりたかった女の子』中公文庫 p.222
松田青子『男の子になりたかった女の子になりたかった女の子』すごく面白かった。松田青子はやっぱり短編がものすごく面白い。すっきりした文章で、そのすっきりした文体によく似合う鋭い眼差し。今までなんとなく了解したつもりになっていたけれど、後になってやっぱりあれはいやだったんだ、いやと言ってよかったんだ、と、気づかせてくれるような。私たちは、もっと、いろんなことにいやだと言っていいのだ。
人から物語を押し付けられたり、自分で物語を内面化してしまうこともそうだろう。私は30代で未婚だけど、30代で未婚で子供もいなくて……という自分の今の姿に、例えば結婚して子供もいる同い年の友達のことを考えたりして、私はそのルートには乗れなかったなあと思うのも自分で「物語」を内面化しているのだ。30代女性であれば結婚して子供もいて、その姿がスタンダードなんだという「物語」。この物語から名実ともに、個人的にも社会的にも完全に逃げ切れるということは多分無理だろう、だけど抗おうとすることだけはやめちゃいけないのだ。それはとっても骨が折れる作業だけど、結局、自分のことを守れるのは自分しかいない。いろんな方面からやってきて、さりげなく押しつけられていく「社会規範」のようなもの、「物語」のようなもの、だけどそれが自分にそぐわないものだったらきっぱり断っていいのである。とはいえ、私は自分の確固たる意志で未婚でいるわけじゃなく、なんとなく何も考えないまま未婚でここまできてしまっただけなので、松田青子くらいきっぱりした態度を取れるかといえば取れないような気もするし、そのへん難しい……。でも、なんとなく未婚でここまできたけれど、結婚にものすごく憧れているかといえばそうでもないし、自分が子供を産み育てるなんてもっとピンとこないし、そもそも私のような未熟な人間が人間を育てられるとも思わないしむしろ私のような遺伝子はもう私で打ち止めにするのが最善だと考えてもいるので、今の自分の姿は必然なのかもしれない。だけどとにかく、自分の物語は自分で作っていいんである。自分だけの道を進もう、そもそも自分はこの世にたった一人しかいないのだから、そんなこの世にたった一人の自分が歩む道だってこの世にたったひとつのものなんだ。
明日から5/2まで仕事。まあいいか。でも母はずっと5/6までずっと休みらしい。えーっ羨ましいな。