20241005

kyri
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公開:2024/10/6

論文試験が終わった! 部長に添削してもらおうということになった手前、なんだかんだで練習をした。過去問で練習をしていて、これで今年の問題が変化球だったら努力は水泡に帰すなと思っていたのだけど、今年の問題もほぼ過去問通りのものが出て、無事に準備した通りのものが書けたと思う。これで落ちたらそれはそもそも私の準備の仕方が悪かったと言うことなので、もう文句はありません……。いや、何はともあれ、終わりました! これが受かったら次は11月末くらいから最後の面接試験なのだけど、とりあえずもう書き物は終わりです。長かった! 受験するって決めたのが5月だったから、もう5ヶ月経っている。そりゃあ大学受験とかと比べたら絶対大学受験の方が大変だったけど、なにぶん試験というものを久しぶりに受けたので、まあ、いい経験になったのではないでしょうか。今はとりあえず解放感に身を任せているところで、何か欲しかったものを買うぞ〜と思っているところなのだけど何を買おうかまだ決めていない。でも悩む理由が値段なら買え、買う理由が値段ならやめておけって言葉があるけど、とりあえず買い物をしたいだけならやめた方がいいのかもしれない。

そんなことを思いながら寝たら朝方に祖母の具合が悪くなってまた救急車騒動が起きた。もはや驚かない。そして誰のせいでもない。祖母はまた入院してしまったけど、それでも私の人生は続くのでいつも通りの生活をしようと思う。


実際、分からないことに耐えられず、敵か味方かとか、こっち側かあっち側か、と判断したいがために人を自分の理解できるレッテルで雑に括ろうとする人が多いのだ。そしてそういう人の多くは、自分のレッテルからはみ出した瞬間相手に激怒したり、切り捨てたりする。別に恋人とか家族とかではないし、この程度の「ふーん」で流せる感じでいいのだ。いや、恋人とか家族でも「ふーん」でもいいのかもしれない。究極、自分以外の、いや自分自身もまた、よく分かんない他人、と片付けられれば、世の中の情念による犯罪は皆無になるだろう。でも自分が自分自身をよく分かんない他人、と片付けたら、じゃあ自分とはいったい誰で、誰が責任を取るんだということになるから、やっぱり自分のことはそれなりに傘下に置いた方がいいのかもしれない。傘下などと、ナチュラルに自分の方が上と設定してしまう時点で、なんだお前偉そうにと反乱を起こされる可能性もなくはないけれど。

金原ひとみ『ナチュラルボーンチキン』河出書房新社 p.45.

金原ひとみの新刊はもともとオーディブル先行リリースだったこともあってか、おそらく声に出して読まれるということがいつも以上に意識された文体だったように思う。金原ひとみが書く主人公は地の文にしろ台詞にしろ大体いつも早口で、朗読してみようとすると文章のテンポが良すぎて口が追いつかなくなるのだけど、今回の新刊は(朗読していないけれど)頭の中でも一定の、いつもよりはゆったりとしたテンポがあって、焦燥感のままに読み終わるというわけでもなく、最後まで落ち着いて読めたように思う。

金原ひとみが描く「他者」そしてその他者との距離感はいつも心地よい。絶対に理解できないし全然わからないのだけど、そのわからなさをそのままに、それでもあなたのことは好ましいという大らかさを好きだと思う。よく知らないけど、ネガティブ・ケイパビリティってこんな感じなのかな。この「わからないけどあなたが好きだ」というスタンスが明確に始まったのは『ミーツ・ザ・ワールド』からのような気がするけれど、恋愛から結婚、結婚から出産、出産から育児、フランス移住からの帰国、成長した娘たちとの暮らし、そういう数々のフェーズを踏まえて変化した、そしてこれからも変化していくであろう彼女の小説をこれからもずっと追いかけたいと思う。思えば、私はこの人のこういう他者との関係性の書き方が好きでこの人の小説を追いかけ始めたわけではなかったのだけど、(それはもう『蛇にピアス』まで遡るので、書き始めると長くなる)確かに『蛇にピアス』を愛した中学生の私に、今の金原ひとみはこういう小説を書いてるよと新刊を差し出してみてももしかしたら信じないかもしれない。私の好きな金原ひとみはこんなんじゃないと言うかもしれない。だけどそこは私自身も変わるのである。そして、変わっていくからこそ人はしなやかで強い。

いつでも、自分の人生に風穴を開けてくれるのは他者でしかありえないんだよなということを考えていた。ルーティン化された日常が悪いわけではないけれど、それがもしもつまらなく思えてきたのなら、打破するヒントは他者にある。それが偶然の出会いであったとしても、どれだけ、この人全然わからないなと思ったとしても、あるときは「ふーん」くらいの話半分なスタンスで、それでも関わってみる。そうしたらいつか夢にも思わない化学反応が起こるのかもしれない。『ナチュラルボーンチキン』の浜野さんは45歳で、私はそれよりまだ若いにしても、いずれ45歳となる日は必ずやってくる(それまでに死なない限り)その歳を迎えたとき、この小説を読み返して、きっと希望を感じるだろう。かつて私が好きだった『蛇にピアス』を書いた金原ひとみが今こんなふうに変化したということも含めて、大きな希望だ。このまま生きていくのも悪くないかなと思える。若いときが全てではないし、恋愛することも全てではないし、家族を作ることも全てではない、そんなことで人の価値は決まらない。金原ひとみはいつも私に大きな希望をくれる。


本当はこの日記を昨日書きたかったのだけど昨日は『踊る大捜査線the movie2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』が地上波で放送されたのでそっちを観てしまった。懐かしい。これを観た当時私はまだ中学生だったという事実が恐ろしい。そして、この映画ができてから今に至るまでの20年で世界はここまで変化したのだと、そりゃあ平成から令和にもなるのだと、その変化を頼もしくも思った。

今観ると、真矢みきの役にだいぶ悪意があるなあと思っちゃうんだけど、でもたとえば途中の「だから女は舐められるの。仕事は仕事」っていう台詞とか、本部長を外されて帰る途中に室井さんとすれ違った時の、彼を見送る眼差しとかに、真矢みき(沖田)の矜持が見えて、よかったなと思う。この映画では組織をまとめることはうまくいかなかったけど、これだから女の上司はダメなんだという結論に陥ってほしくはない。これはこういう個人の例だ。うまくいかない女性もいればうまくいく女性もいるだろう。何はともあれ今も昔も真矢みき(沖田)は強烈なインパクトのある女性だった。

@kyri
週末日記