今日は2024年映画初めの日。地元の映画館はショッピングモールに入ってるTOHOシネマズがいちばんでかいんですけど車がないと行けない。そして私は免許は持ってても10年以上運転してない超・超・ペーパードライバーなので怖くて行けない。ということで電車と徒歩で行けるミニシアターにいつも行きます。
映画の前に郵便局に行って赤十字社に寄付をして、ドトールに寄る。いつも土日はシフトに入ってる(そして私はほぼ毎週行ってる)店員さんに吉沢亮を10代にして背を高くした感じの儚い美青年がいるんだけど、彼がいなくてちょっと心配になる。見た目的に大学生だろうなと思っていたけれど、被災してないだろうか。彼の地元が石川県とかだったらどうしようと不安になる。来週には顔見れたらいいな。いてくれるといいな。2018年に大阪に大きな地震がきたとき、私もまさに被災したのだけど、その時ちょうど近所のカフェにいて、店員さんと「大丈夫でしたか?」と声を掛け合っていたことを思い出した。だけどそんな人間関係もできてないし、流石にいきなり店長に声もかけられない。心配してるよって、それだけなんとか伝えたいけれど。でもお前誰やねんっていう。そうですよね。
映画の前に今度は服屋に寄る。いつもsacaiを買っているお店に行き、あわよくばセールになってないかな〜と思っていたsacai×Interstellarのコラボ服が読み通りセールになっていたので、喜び勇んで一番欲しかった本棚柄のTシャツを買った。だけどロンTだと思ったのが半袖だったので、太宰治ではないけれどこれは夏に着るもの、だから夏まで生きていようと思ったんでした。生きていたいな、と思う。だけどそれもちょっと心配になるこの頃です。今日の朝刊の一面は「富山の30代女性 死亡」。私に死が近づいているかどうかは神様しか知らないけれど、だけどどうか、生きていたいなと思うのでした。もう一度会いたい人もたくさんいるのだし。だけど今回の地震で死んでいった人たちほとんどみんなそうだっただろうと思うと、やっぱり胸が痛い。会いたい人がたくさんいて、やりたいこともたくさんあって、そんな人が、本当に、サイコロの目がそうだったからとしか言えない運命で、こんな近くでたくさん死んでいくのは本当に心が痛い。
ということで映画へ。1本目は『ローマの休日』、実は観たことないんです。感想。なんていい映画なんだ。オードリーに夢中になる人の気持ちがわかりすぎる。私もあんな髪型にしたい。物語もすごく好み。私はこの世で『タイタニック』が一番好きな映画なんですけどタイタニックが好きならなんでこの映画を観ておかなかった? すみません。思うに身分違いの恋というものが好きなのかもしれない。だけど『タイタニック』ではローズが「船を降りたらあなたと一緒にいくわ!」と駆け落ちを決意しているのに対して『ローマの休日』のアン王女は一日遊び回ってちゃんと王宮に帰って行ったのがよかったですね。まあ駆け落ちできる身分でもないんですが……。お別れのエンドでもあるんだけど、カラッとした終わり方ですごくよかった。「ローマの思い出です」って言って売り捌こうと思ってた写真を王女本人にお渡しするってすごく良くない? それに対して王女もあくまでプロな笑顔を崩すことなく「本当にありがとうございます」ってスッと受け取っちゃうのがすごく素敵。きっとこの先二人が再会することはないんだろうな、とは思うものの、切なさも残るものの、きっと王女にとって生涯忘れられない思い出だろうな、という、そう思えることは十分にハッピーエンドだと思うんです。映画と一緒に淀川長治さんの解説映像(日曜洋画劇場のものかな?)が流れたんだけど、「この映画は皇太子殿下もアメリカ外遊中にご覧になって、とても感激されたそうです」と淀川さんが語っていて、皇太子殿下って誰だ? と一瞬思ったんだけど現在の上皇さまですね。上皇さまは学生時代に学校から抜け出してお友達と銀座をぶらつかれたというエピソードが昔wikipediaに書かれていたけどさながら『ローマの休日』だったというわけ。だけどこれを観て感激されたってことは少なからず自分と重ねたところもあったんだろうな、と思うと映画じゃないところでちょっと切なくもなったのでした。天皇制はもう終わっていいんじゃないかな。
2本目は『羅生門』これも観たことなかったんでした。羅生門だけど、藪の中。藪の中、学生時代に読んだけど何も覚えてない。三船敏郎の佇まいはやはりモダンだなあ、そして京マチ子は綺麗だなあ。京マチ子が検非違使に証言しているところで地震が来て、誰かのスマホから緊急地震速報が鳴った。順番が逆だったので、これからもっと大きな地震が来るんじゃないか、と思ったらその後しばらく映画が頭に入って来なくなった。でもあれは語らせる順番も大事だなと思ったんでした。語りのトリを務めたのは志村喬だったけれど、あれだど結局真実は志村喬の証言だったんですねっていう印象を持たれてもまあそうなのかなと思ってしまうかも。私は「藪の中」は(覚えてないにしても)「真実は誰にも分からない」っていう様式美を描いた作品だと思っているので、ここが映画化するには難しいなと思ったのだった。だから映画は「この世に確かなことなどどこにもないがそれでも人は信じるに値する」という着地になったのかなと、ぼんやりと。それにしても京マチ子、鼻筋がものすごく綺麗だった。菅田将暉並みに鼻筋が綺麗。
帰る頃には雨は雪になっていた。今夜から明日にかけて大雪の予報が出ている。そしてきっと冷え込むだろう。一晩でそんなに派手に積もることはないだろうと思うものの、雪で家が壊れたりしたらどうしよう、と、いつもならしない心配をしてしまう。それは被災地の能登でも同じこと。地震を耐え抜いても雪の重みに耐えられない家が出てくるかもしれない、それを思うと北陸のこの気候を呪いたい。試練、という言葉は使いたくないけれど、それでも、耐え抜かなきゃならないことが多すぎる。春はまだ遠い。冬はこれからだ。
どうか、関心を持ってほしいなと思う。それぞれの人が日常に戻っていくのは当然のことだしそれでいいと思うし仕方ないとも思うけれど、だけど、やっぱり、もっとこっちを見て、と思う。ここに、困ってる人がいるから。地方のことだからあまりピンと来ないかもしれないけれど、だけど同じ国内だから、同じ国に住んでるから、どうか、少しでいいから心を寄せて。少しずつ少なくなっていくニュースの報道を見て思う。少しずつ元に戻っていくSNSのタイムラインを見て思う。それでいいと思うと同時に、まだ早いよって思う。だけど考えてみればこの災害が起こる前から世の中は「もっとこっちを見て」という声で溢れていたはずだ。「もっとこっちを見て」という声があちこちから聞こえて、視線の奪い合いになっていたはずだ。その視線の奪い合いにこの災害が加わっただけなのかもしれない。そして、今まで「もっとこっちを見て」という声を聞いてはいても、日常を優先させてあまり大きな声を出して来なかった自分のことを反省するのだった。私が言えたことなんて何もないのかもしれない。だけど、近い場所からもう少しだけ発信します。どうか、私たちに心を寄せてください。