髪を切った。従妹がいるからという理由で同じ美容院に通い続けていたけれど、彼女が来月でお店を辞めて独立するので、これが最後の来店だった。来月からは従妹のお店に行く。私のこと、Adoじゃないよね? と聞いてきた店員さんとも最後だったのか、と思うともっとしゃべっておけば良かったなと帰ってきてから考える。こうして全ては移ろっていくのだなあということを思う。それにしてももう2年くらい同じ髪型をしているのでそろそろ新しい髪型に挑戦してもいいのかもしれないけれど、今の長さで髪型を変えようと思ったら頑張って伸ばすかベリーショートにするしかないんだよな。ベリーショートもいいのだけど、切ってしまうと耳にゴリゴリピアスを開けているのがバレてしまうので、ちょっとな〜と思っている。
昨日『アーガイル』を観に行った。なんというか……マシュー・ヴォーンである。マシュー・ヴォーンというジャンル。キングスマンで稼いだ金はこんな感じになる。結局やってることは一緒じゃんね。ヘンリー・カヴィルはやっぱりかっこいい。それにしても、家族はやたらキングスマンとの関係性が気になっていたようだけど、私はそこはヴォーンのお遊びなんでは? と思う。サミュエル・L・ジャクソンとソフィア・ブテラが出てるのも別にキングスマンと関係付けたかったわけじゃなくただマシュー・ヴォーンの映画だから出たってだけなんでは……えっ私が夢なさすぎ? でもキングスマンの裏面だからこそ猫なんだって言われたときはそうかなるほどと思った。でも、それも無理にキングスマンと結びつけなくてもいいような気はするけどな……何にしても結局私はキングスマンが好きだしヴォーンだってキングスマンの方が好きなんでは? ステイツマンのスピンオフ早くやってくれよ〜。感想として実がなさすぎた。いつも思うけど私は年々映画や小説や漫画の感想を書くのが下手になっていく。いや、もともと上手くはなかった。
11年前に書いた、私が左利きであることにまつわるエッセイを公開してみた。今でこそ左利きのひと、すごく増えた(増えないか、矯正されずに大人になった人が多くなった)けどエッセイの通り私は割と厳しめに左利きを矯正されていて、結局直らなかったのだけど、その当時のことは今でもはっきり思い出せる。家族で外食したとき、隣に座っていた見知らぬおばあちゃんに指をさされて「あの子、ぎっちょやわ」と言われたこともある。(ぎっちょももう言わないよね?!)何より家族がめちゃくちゃ私に厳しかったんだよな……それもこれも死んだ祖父が左利きだったからなのだけど。それもこれもと書いてしまうが、本当に、それもこれもなのだ。禁煙と一緒で、なまじ矯正に成功できてしまった人が近くにいると厄介になることもあるんである。俺にもできたんだからお前にできないわけがないという理屈だ。今ではこんな感じであっけらかんと書くこともできるしもう傷らしい傷も残っていないけれど、22歳の私にはまだ傷だったみたいだ。それにしても、何回でも書くけど20代の私は私に肉薄するのがうますぎる。大昔のブログに埋もれていたけれどたまには陽の光に当ててみようかなと思い転載してみた。左利きということだけじゃなくて、いろんなマイノリティに読み替えることもできるんじゃないかな。
原稿が一文字も進まない。書いてないから当たり前である。どうしよう〜〜書き出しが思い浮かばないよ!