引き続き、歯が痛い。歯というより口らしい。金曜日を昼で会社から帰って歯医者に行ったところ、歯茎に口内炎ができているとのことだった。歯茎に口内炎ってできるんですか? できると言われたんだからできるのだろうな。歯医者がこの痛みを一瞬で消し飛ばしてくれるとも思っていなかったけれど、口内炎ということはいよいよ自然に治るのを待つしかないということで、こんなに痛いのに? と、軽く絶望してしまう。ということで金曜日も土曜日も口が痛くてすっかり落ち込んでしまって、ほとんど寝ていた。土曜日はそれでも14時ごろには起き出して原稿を少し進めた。世界一偉い!!
二日間を寝て過ごしたので、今日は朝から外へ出た。図書館で本を返してから、映画館へ。まずは一本め『四月になれば彼女は』。
写真展へ行き、カレンダーを買い、アートブックを買い、周年記念グッズを買い、プロデュースニットを買うくらいには私は佐藤健さんを推しているのだけど、その佐藤健さんの新作ということで観に行ってきた。
感想としては、良く言えばエモい、悪く言ってもエモい、みたいな映画だった。結婚を前に失踪した恋人、かつての恋人から10年ぶりに届いた手紙、彼女たちの痕跡を追いかけていく過程。なるほど要素を取り出すとどれもエモいね。ウユニ湖、プラハ、アイスランドの風景や街並み、そして圧倒的な海と朝日の映像はただただ綺麗で目を瞠るのだけど、なんというか……いや綺麗なのは綺麗なところで撮ってるんだから当たり前だよな、と思う。もちろん映像が綺麗なのは綺麗な撮り方をしないとそうはならないのだけど、だから映像としては成功しているのだろうけれど、良くも悪くも、エモいという言葉に全て収斂されてしまうような感じだった。そう思いながら映画館をあとにして、この映画のことを調べたら監督は元々MV監督で、今作が初の長編映画ということで、なるほどそういうことか……と思ったんでした。確かにこのエモさはMVを見たときのそれに近いかもしれない。説明がすごく少なくて(そういうところもMVっぽい)少ないがゆえに仲野太賀が佐藤健に「弥生さんがなんで出ていったのかまだわかんないの?」と尋ねるシーンがあるのだけど、いや私にもわからんが??? と思った。もはや映画のせいなのか問題があるのは私の方なのかわからなくなった。恋愛の映画なので、みんな恋愛や結婚のことを話すし、その価値観の自分とのずれについては言い出したらキリがないので割愛。それにしても佐藤健さん、失踪される側というか、置いてかれる役が似合うよなと思う。仲野太賀さんの「あなたは安全なところから人のことを馬鹿にしてるからでしょ」という台詞があったのだけど、いや〜佐藤さんこの言葉が本当に似合うよねえ! と思う。私は彼の、人を人とも思ってないようなつめたい視線と声と笑顔が大好きなのだけど(褒めています)この映画では監督と佐藤健像の解釈が一致したような気がしてそこだけはちょっと嬉しかった。しかし現実に存在している生身の俳優に二次創作的な解釈を押し付けてしまうのもものすごい暴力である。佐藤さん、いつまでも健康で、できれば幸せでいてくれ。楽しく謎解きしてるときのあなたも好きだよ。
次、『ストップ・メイキング・センス』。これは各種SNSやしずインで評判の良さを聞いていて、楽しみにしていたんだった。いやー、面白かった。面白かった? なんだろう。楽しかった。単純に、このステージを駆け抜けた体力がすごい。デヴィッド・バーン、常に動いてるし走ってる。いや、これはパフォーマーであれば当たり前のことか……でも、改めて人が持ってる身体性というものに圧倒された90分だったように思う。これは『アメリカン・ユートピア』を観たときも思った。身体は表現のためにある。音楽とかライブとかに触れるととみにそう思う。どうでもいいけど若いときのデヴィッド・バーン、角度によってはキリアン・マーフィーに似てる。
そして、バーンのパフォーマンスもよかったのだけど、なんといってもベースのティナ・ウェイマスに魅了されてしまった。かわいい。かわいいし、かっこいい。男性バンドにひとり女性として存在していることでそう思っているだけなのかもしれないけれど、だけど、彼女の姿は光って見えた。彼女がこのベースを弾いてるんだと思うと、一音一音がとても輝いて聴こえた。夢中になるって、こういうことなんだなあと思った。ずっと観ていたい聴いていたいパフォーマンスだったけど、何よりずっと彼女のことを見ていたかった。今もApple musicで見つけた『Stop making sense』を聴きながらこれを書いているのだけど、一番聞こえてくるのはベースの音だ。これを彼女が弾いてるんだ。良すぎる。
ん〜、でも作品としては、個人的には『アメリカン・ユートピア』の方が好きかな!