20240822

kyri
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公開:2024/8/22

明日が試験なので、午後休をもらって図書館で最後の勉強をしてきた。今日は雨が降るだろうなとなんとなく閃いて日傘じゃなく雨傘を持ってきたのだけど、閃きが当たることはなく真昼に会社を出るとカンカン照りになっていて、炎天下でスマホをいじるとスマホに容赦無く日差しが降り注いでスマホがめちゃくちゃ熱くなった。危ない。

お盆休みも過ぎて、図書館の人の入りはいくらかまばらになっていた。今日こそは前日だしめちゃくちゃ頑張るぞと思っていたけれど、いや頑張ったとは思うけど、どうしてもスマホを触ってしまうんですよね……。つくづく、受験生だった頃にスマホがなくて、そしてSNSがなくてよかったとこういうときにも心底思うのだった。私の時代はガラケーでしたが、それでも一問解くごとに携帯開いてメール見たり打ったりしてましたね。ガラケーでさえそうだったのだから、今、スマホ&SNSという誘惑が手元にありながらきちんと勉強をしている受験生は本当に鉄の精神力を持っていると思う。図書館にも勉強しにきている学生がたくさんいるので、全員に幸があってほしい。

さて明日が試験なのだけど、もうここまできたらなるようにしかならないですね……という気持ちしかない。でも心身ともにめちゃくちゃだった一昨年と比べたら全然腰を据えて落ち着いて勉強ができたので、結果はまだ出てないけれど、それだけでも十分私は持ち直した&進歩したなと思えたのでよし。これで合格できたらもちろんいいけれど、なにせ一回落ちているのと、そこまで昇格に興味がなく、できれば永遠に平社員でいたいと思っている身からするとこの試験を受けるということそのものに微妙な気持ちがある。とは言いつつ、やっぱり落ちると悔しいので(結構負けず嫌いなので、一昨年落ちたときもまあ順当な結果だとは思いながらも泣きながら友達に電話をかけた)受かるといいな〜と思っている。まあ、この一次試験に受かったとしても次の論文の二次試験、面接の三次試験で落とされる可能性も十分あるんですけど……。でも5月からの3ヶ月、ジュンブラの準備もしつつほとんどこの試験勉強にかかりっきりだったので、それが明日でひとまず一段落するのだと思うとやっと肩の荷が降りる思いがする。終わったら何しようかな。できればまた二次創作をやりたい気持ちはあるものの、4月に本の書き下ろしを書いて以降割とすぐ勉強に頭を切り替えてここまで来てしまったので、いや、二次創作ってどうやるんだったっけ……と、正直なところ。二次創作でなくても何かしらの創作をやりたいけれど、なんか日記以外のあらゆる表現の方法を忘れているような気がしてならない。


——槙生というキャラクターは描きやすいほうでしたか?

 そうですね。特異なところはあるから、どういう行動に出てもわりと面白がってもらえた気はします。どのキャラクターにも言えることであるんですが、特に槙生に関しては、読者の方がすごく期待を抱かれている印象で、なぜそんな風に思われるのか興味深く思いながら描いていました。こういう風なことを言ってほしくないとか、恋愛をしてほしくないとか、なんだかんだ言って友達がいるのが「ずるい」って感想もあったかな。

——「ずるい」ですか。槙生のどこかに自己投影されていて、自分にはいないけれど槙生には友達がいてずるいということなのでしょうか。

 孤独というものをその程度で語るなって感じだったように思います。まあ、ただ何が孤独かは人によるものだと思いますし、『違国日記』は下を見ることは別にいいことじゃないという気持ちで描いていて、いろいろなことに希望を持つための闘いみたいな話だと考えているので、「すみません、そういう話ではないので諦めてください」と思うしかないのですが。槙生を崇拝に近い感じで好きになってくださっている方もいましたし、反対に嫌いだという方もいて、描いている側としてはその反応が興味深くて。

ヤマシタトモコ『ほんとうのことは誰にも言いたくない』pp.315-316.

「ずるい」。私も自分の感想文でこの「ずるい」を連発したからめちゃくちゃドキッとしてしまった。いやいや自意識過剰もいいとこ。きっと私だけじゃないいろんな人が少なからず槙生に対して「ずるい」と思っていたはずだと思っている。私に槙生の何がわかるんじゃって感じですが……。

それにしても、漫画家の人、小説家の人は、読者から本当にいろんな気持ちを寄せられるから大変だなと思ってしまった。「こうしてほしい」「こうしてほしくなかった」「そんなキャラだと思ってなかった」その感情は切実でもあろうし、だけどものすごく傲慢だ。受容者は創作者から差し出されたものを無批判にただ肯定すべきとも思わないけれど、キャラクターに一方的に自分の願望を投影させて一喜一憂したり勝手に裏切られたような気になってみたり、いや、そう思うのは勝手だけれど、それを作者にわざわざ伝えるとなるとちょっと暴力的なんじゃないかと思う。とはいえ、それも感想の一部だから伝えちゃうのかな。私みたいな私情も私怨もダダ漏れの、でもこれはどこにも誰にも伝わらないだろうと思って書いた感想文だってもしかすると作者の目に入ったかもしれないし、となると私はすごい暴力を行使してしまったことになるし、やっぱりインターネットの海に自分の書きものを放流することに対して、もっといろんなことに自覚的になった方がいい。誰が見ているかまじでわからない。先日も書いたけれど、自分の書いたものは自分が思うよりずっと遠くまで行くのだということ、これは書いたのが私だったからとかじゃなくて、ほとんど全ての人にとってきっとそうなのだということ、だから色々、発信することには気を配ろう。

@kyri
週末日記