今日の朝刊の一面「氷見の観光 大打撃」。ご存知かもしれませんが氷見というのは寒鰤がとれる町でして、ちょうど今ごろがシーズンなんです。だけどこの地震で旅館やホテルに被害が出て、被害が出なかったところでも予約のキャンセルが相次いだりしていて、観光業にとっては痛い2024年の始まりだろうと思う。いつになったら元通りの生活や仕事が戻ってくるのかわからない。ここにきて朝刊の一面は連日氷見のことになってきた。県内で一番被害が出ているのが氷見なのでまあそうかという感じもする。
昨日の朝刊はボランティアが氷見に入ったことを一面で伝えていた。地震発生から1週間以上経っている。1995年は阪神・淡路大震災を経て「ボランティア元年」と言われた年だったけれど、2024年になってそれは大きく後退してしまったのかもしれない。確かに道路状況は悪いのかもしれない。だけど人手を必要としている人たちは報道を見ていてもたくさんいる。ボランティアの人々によって、氷見の町の復興が少しでも進めばいいなと心から願う。そして能登の方にも一刻も早くボランティアが入ることも願う。能登の方に関しては災害関連死が昨日の時点で8人という報道があった。地震を生き延びても、死んじゃうんなら全然意味がない。寒さで人を死なせるなんて北陸人のプライドが黙っちゃいない。私たちはずっとこの寒さと共存して生きてきたんだ。それを、この寒さで死んじゃうなんて。
昨夜はお友達がmocriに来てくれて、焚き火の音を聞きながら2時間ほど話し込んでしまった。焚き火の音を考えついた人は本当に天才、永遠に喋れる、天才。地震が起こって以来、ずっと誰かと話したかったので、本当に本当に救われた。わかってほしい、でもなく、ただ聞いてほしかった。こんなことがあったんだ、私はこう思ったんだ、悲しかったんだ、辛かったんだ、でも今は暮らしも元通りだし、どんどん自分が日常に戻っていっている気がする、どんどん能登の方に心を寄せなくなっていく、それがつらい。SNSでもみんながみんな好き勝手なことを喋っている。いつもと変わらない趣味のツイートをしてる人もそうだし、政府の対応について怒っている人もいる。だけど中には信じられないくらいひどいことを言う人もいる。復興じゃなくて移住を、と言い出した人とか。何言ってるんだろう。家を離れるということがどれほどのインパクトを持つか想像つかないのだろうか。それに都会の人たちが享受してるのは地方の労働力や文化や食べ物じゃないのか。そういうことは考えつかないのだろうか。こうして地方は切り捨てられていってしまうのか。それから「イスラエルの時は声を上げなかったくせに今回の地震で急に声を上げ出す芸能人はなんなのか」と言う人。いや、そうやねんけど、そうやねんけどさあ。その通りよ、私だって普段の生活でそこまで大きな声出してこなかったよ、でもそれを言われるとさあ、もう、何も言えなくなっちゃうじゃんか。でもこうやって問題に優先順位をつけてしまっている自分が何よりつらい。そうやねんけどさあ。あなたの言うことは本当に、そうやねんけどさあ。そんなことをつらつらつらつらと、泣きそうになりながら喋った。お友達は「使えるエネルギーの量は限られてる、その中で声を上げていくしかない」「何も言わないからってその人が何も考えてないわけじゃない」「やっぱり時間は進んでいくから、生きていかなきゃ」と言ってくれた。私は、今ここに、寄り添ってくれる人がいるということのありがたさをしみじみと感じていた。ここに何度も書いているけれど、私は一人じゃない。それからはお友達が京都で開催してる絵の個展の話と二次創作の話とB'zの話をした。「いつかのメリークリスマス」で「僕」が買った椅子というのは一体どれくらいのサイズなのかという話で盛り上がった。でもサイズがどうあれ椅子を抱えて電車に乗ってくる人はちょっと迷惑。でもB'zは最高。お友達は関西の人なので、私もつられて関西の訛りが出る。それがちょっと楽しい。
楽しいことを書いていきたいなと思う。思うんだけど書きたいと思うこと、書いておかなきゃと思うことはまだ地震に関するトピックスが主なので、この日記ももうしばらく地震日記になるのかな。二次創作もやりたいけどやっぱり心に隙間がないと全然手につかない。そういえば二次創作もしんどいですよねって話もした。やっぱり何を置いても「続ける」ことが一番難しくて、「続ける」をやれている人が一番強い。本当にそうです。私が日記をこまめにつけている時って何らか非日常に置かれている時が多くて、例えばコロナで緊急事態宣言が出て、家から出られなくなった時なんかは「これを記録しなきゃ!」と思ってせっせと日記を書いていた。そして今回も、1月早々にフェードアウトするだろうなと思っていたけれど地震があったので「これを記録しなきゃ!」モードになって今のところせっせと書いている。でもこれがどんどん「日常」に変化していけば私のモチベーションは落ちてしまうのだった。この、「日常」に戻っても続けられるかどうかにかかっているような気がする。二次創作についても同じで、最初のウワーー萌えが止まらない! モードの時が無敵なのは当たり前で(このモードがどれだけ続くかがキーなのかもしれないけど)勝負は自分の中で熱が少し落ち着いてから始まるものだと思うのだ。そして私はこの勝負にいつも負けている。