20240728

kyri
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今日は朝イチで従妹のお店に行って髪を切って染めた。インナーカラーは引き続きピンクブラウン。ブラウンと言ってもけっこうピンク寄りのブラウン。先月会社の人と飲みに行ったときに新入社員の人におもむろに「言いたいことがあるんですけど」と言われエッめちゃくちゃ怖いと思ったんだけどそのあとに続いた言葉が「インナーカラーいいですね!」だった。私はそれまで自分のインナーカラーについては誰にも気づかれていないだろうと思っていたのだけど、青→(色が抜けて緑)→金→ピンクときたらさすがにわかる。というか、なぜ今までこれが誰にも気づかれていないと信じられていたのかが謎。

宇多田ヒカルが今全国ツアーをやっているのでその話をずっとしていた。なんだかんだで小さい頃は真面目に聴いていた訳ではなかったけど、改めてちゃんと聴いてみたらほとんどの曲を知っているということはすごいことだと思う。どうか死なんといて、という話をした。何でもかんでもすぐ生き死にみたいな重たい話題にしてしまう。ということで、今この日記を書いているBGMは宇多田さんです。


そして髪を切ったあとはいつも通り図書館に行って勉強……と言いたいところだけど、確かに図書館には行ったものの、ぜーんぜん勉強したくない。ということで持ち込んだ本をまたも読み耽ってしまった。『別れを告げない』読了した。

雪が印象的な小説だった。雪の描写が丁寧で緻密だったところは過去作『すべての、白いものたちの』を思い出させた。誰かについて祈ること、そこにいてほしいと願うこと、不在を思うこと、いつか、届くことがあるかも知れないこと。私はこの小説で書かれた済州島の虐殺について全く知らなくて、だけどそういう、何も知らない人にも届くようにハン・ガンが言葉を尽くして語りかけてくれているように感じた。小説のタイトル『別れを告げない』も「追悼を終わらせない」という意味があるとのこと。とにかく、語ることを諦めないこと。口をつぐまないこと。追悼に終わりはないのだということ。題材的には『少年が来る』と似ているというか斎藤真理子氏の解説から言葉を持ってくるなら「対をなす」小説だけど、そう言うなら正直『少年が来る』の方が好きなのだけど(『少年が来る』はとにかく圧倒されて、読み終えてしばらく放心して、しばらく泣いていた)この『別れを告げない』もきっと忘れない小説となるだろう。

この本を読んでいるときに、不意に、私も小説を書かなくては、という天啓のようなものが落ちてきたような気がする。なぜか、私にもまだ書くべきことが、私の中のどこかにあるような気がした。創作文芸になるか創作BLになるか、もう少し二次創作を続けるのか、それはまだわからないけれど、とにかく、私も何かを書かなくては、という、駆り立てられるような気持ち。これと似たような感覚はルシア・ベルリンを読んだときにも感じたことがある。ルシアの小説には「好きなように書いていいのだ」と言ってもらえたような気がしたのだ。実際、ルシアのおかげでもう一度筆を取ったような覚えもある。そのとき何を書いたのかはもう忘れてしまったけれど。とにかくそんな感じで、私はまだ何かを書けるかも知れないと思った。できればもう一度創作文芸や創作BLを書きたいけれど、『別れを告げない』で降ってきたイメージは二次創作の方に接続されたような気がするので、もうしばらく二次創作をやるのかな。でも私の二次創作って、別にこのキャラじゃなくても良くないか? みたいなところが大いにあり、今考えている物語もこの推しカプで書く意味とは? みたいなそんな感じなので、ちょっと考えたい。でもこの推しカプで書きたい気持ちは強い……。

『別れを告げない』を読み終えて、次は河原理子『フランクル『夜と霧』への旅』を読んでいる。これは5月の古本市でふと目に入った本。私はフランクルについては『夜と霧』しか読んだことがないしその内容もちゃんと覚えてるかといえば怪しいのだけど、これは『夜と霧』の副読本としてとてもいい感じ。『夜と霧』をめぐっていろんな人の、いろんな思いがあったこと。フランクルはいろんな人に愛され、そしてフランクルも最後まで人間を愛したこと。「私たちが人生に何かを期待するのではなくて、人生の方が私たちに期待しているのだ」と言う考え方は目から鱗だった。人生から発せられる問いにその都度全力で応えていくこと。そうすれば自ずと人生は生きるに値するものになる。何があろうと、それでもこの人生にイエスと言う。

@kyri
週末日記