20240908

kyri
·

今日は祖父の27回忌だった。いつぶりかもわからない喪服に袖を通して、サイズが変わっていなかったことに安堵する。だけど久しぶりに引っ張り出してきた黒いパンプスは完全にダメになっていて、もうこの一日が終わればすぐに捨てるからどうかその間は壊れないでと、もう息をしていないその靴に祈って足を入れる。履いているうちに表面の革が剥がれてきたりして、もう本当に寿命以外の何ものでもなかった。思えばこの靴は大学を卒業して、今の会社に入社するために買ったものだった。だからもう10年になる。最後の数年は全く履かなくなり、靴って履かないでいるともっとだめになってしまうものだから、私がその寿命を早めたようなものかもしれないけれど、そんなわけでずっと靴箱に眠っていた。その眠りを叩き起こして、数年ぶりに足を入れたら一気にぼろぼろになった。まるで早すぎる眠りから起こされた巨神兵のように、歩くうちにみるみる靴は死んでいった。法事が終わって帰宅して、脱いだその靴をそのままゴミ袋に入れた。ヒールも高いのに歩きやすいのが気に入って、神戸三宮のマルイで買った靴だった。会社員になったばかりの私にずっと付き合ってくれた靴だった。靴はだめになり、私も年をとった。

従弟と去年の彼の結婚式ぶりに会った。久しぶりに会った彼はボディビルにはまっていて、スーツ姿でもわかるくらいに肩まわりの筋肉が隆々としていた。毎日プロテインと鶏の胸肉で生活していたそうだ。そして彼の子供ももう2歳になるらしい。彼はコロナで結婚式が延び延びになっているうちに子供を授かったので、結婚式の場にまだ生後半年くらいの息子を連れてきていたのだけど、あのときギャン泣きしていた子がもう2歳になるとは……と、時の流れの速さにちょっと眩暈がしそうになった。そして、彼は立派に自分の子供を育てているけれど、私はこの通り子供もいなければ結婚もしていないので、こういうときに一気に居心地の悪さを感じてしまう。親も親戚も私が結婚しないことについて何かを言ってきたりはしないけれど、たとえば母なんかは、従弟の子供の話をどんな気持ちで聞いているのだろうと思う。楽しそうに話してはいるけど、自分にその孫にあたる存在がいないことに、そして多分、死ぬまでいないことに、どう思っているのだろう。だけどそんなことは怖くて聞けない。聞けないから、法事が終わった後のお蕎麦屋さんでお蕎麦を黙って食べた。

祖母の物忘れも目立つようになってきた。祖母はもう従弟のことを認識できない。自分の孫の一人であるのに、しばらく会わないでいるといとも簡単にその存在を忘れてしまうようになった。みんなと別れた後に、あの子は誰だったの? と祖母は父に尋ねる。父は呆れたようにあんたの孫やろがと答える。それでも祖母にはピンときていない。そうなの、と、どこか疑わしい返事。そして帰宅してからしばらくして「今日の法事はどうなったの?」と聞いてくる。みんなで行ったでしょ、さっき帰ってきたでしょと私が諭しても、やっぱりピンときていない。しばらくすると思い出したみたいだったけど、そうしたら前述の通り従弟のことを、あの子は誰だったのかと言い出す始末だった。

祖母を見ていると、老いることを怖いと思う。記憶が繋がらなくなっていくことがこの先老いて、私にも起こるようになるのかもしれないと思うとそれはすごく怖い。いろんなことを忘れていって、家族から呆れと哀れみの目を向けられるようになるのかもしれないと思うとすごく怖い。だけどその前に、私が老いる頃には父も母も死んで、私はたった一人になっているだろう。そのこともすごく怖い。老いたとき、私の近くに、私のことを気にかけてくれる人はいてくれるのだろうか。一緒に住んでいなくてもいい、せめて、友達が私のことを覚えていて、そして、生きていてくれたらいいと思う。でもそのためには、人間関係を続けていくための不断の努力を諦めてはいけない。全ては私の未来を少しでも安らかにするため。私自身を救うため。


帰宅してから母が免許の更新に、父が買い物に出かけたので、一人で朝吹真理子のエッセイ『抽斗のなかの海』を読んだ。朝吹真理子はなんだかんだで全作読んでいるかもしれない。だけど『流跡』も『きことわ』もあまりにわからなくて、『TIMELESS』に至っては「頭の出来が違うので問題はなし!」と頭の中でAdoが歌う。頭の出来が違うのは朝吹真理子の方である。でも『TIMELESS』は遠くに死んでしまったゆりちゃんの話をもっと聞きたかった。

 読んだはしから物語を忘れる読書は、人によっては無駄な読み方に思えるかもしれない。でも、無駄な読みこそ最も愉しい読書体験ではないかと思う。小説に、読みとるべきことなど本来はない。ただ読みたいように読む。本を閉じた瞬間に書かれてあったことなどすべて忘れてしまってもよいのかもしれない。

 自由であるからこそ、読書はかえがたい歓びとなる。

朝吹真理子『抽斗のなかの海』p.104.

だけど「頭の出来が違うので問題はなし!」とAdoが脳内で高らかに歌ったとしても、時折彼女の文章にはふと勇気づけられたり、元気が出たりするものがあって、引用の文章もそうだった。私もまた読んだ本のことを片っ端から忘れていくし果ては読んだことすら覚えていないこともざらにあるが、それもまた読書なのだと、それもまた歓びなのだと言ってもらえるのは罪悪感から少し楽になるような思いがする。それから彼女が大のBL好きということにも大いに元気をもらえたりするのだった。

『TIMELESS』も単行本が出てすぐ読んだきりなのでもう6年前のことになるのか。ゆりちゃんの話がもっと聞きたかった以外の感想をあまり覚えていないので、また読みたい。また読みたい本リストもどんどん増えていく……。


明日は車で出張なのだけど、車を運転する上司は富山の地理に全く疎い上にそもそもほとんど運転をしない人なので、交通事故が起こるんじゃないかと今から怖くてしょうがない。明日私が無事に帰宅することを祈っていてください。

@kyri
週末日記